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音楽

2013年3月10日 (日)

小曽根真 東京文化会館 プラチナ・ソワレ 第5夜「ザ・ジャズ・ナイト」 レポート

小曽根真

京文化会プラチナソワレ 第5夜「ザジャズナイト」

201338()19:00 京文化会小ホ

 

Ⅰ部

01 Inprovisation1 即興曲1

02 Inprovisation2 即興曲2

03 Inprovisation3 即興曲3

04 Inprovisation4 即興曲4

05 Ital Park イタルパーク (新曲)

06 Dancing At The B.P.C. ダンシング・アット・ザ・B... (新曲)

    *B.P.C. The Berklee Performance Center

Ⅱ部

01 Cubano Chant クバノチャント

02 My Witch’s Blue マイ・ウイッチズ・ブルー

03 Before I Was Born ビフォー・アイ・ワズ・ボーン

04 Emily エミリー

05 Wild Goose Chase ワイルド・グース・チェイス 

アンコール

    Do You Know What It Means To Miss New Orleans

 ドゥノウホワットイットンズトゥミスニュリンズ

 

 客席うしろのドアから現れたピアニストは、通路側の聴衆に「こんばんは」と声をかけながらステージに上がり、この東京文化会館のハウスピアノであるYAMAHA CFXの前に座った。腕時計をはずしてピアノの上に置くという、いつもの小さな儀式のあと、美しいファーストノートが宙に舞う。プログラムがあらかじめ発表されていない今夜のコンサートは、いわばコンサート全体が即興作品だが、小曽根はそれを4曲の即興組曲ではじめたのだった。本格的な春の訪れを感じさせるこの日にふさわしい、明るさに満ちた第1曲は、小曽根の初期の作品のみずみずしい才能を直接的に受け継ぎながら、それを豊かにリファインしたもので、ピアニスト・作曲家としての自らの来歴に挨拶をすることで、このコンサートを始めようとする小曽根の意志を感じることができた。第2曲・第3曲と、クラシカルな語法に基づいた重厚で思索的なソナタが続いたあと、一転して第4曲では、ジャズミュージックの王道に立ち帰りピアノを底抜けに明るく歌わせる。組曲によって物語を紡ぐという構成法はクラシック音楽の影響を強く受けているともいえるが、優れたクラシック音楽家との共演や作曲を通じて、物語の技法を自家薬籠中のものとした小曽根にとって、この即興での発露は極めて自然なことであったに違いない。こうしてわたしたち聴衆は、小曽根真の「今」に出会った。

 小曽根は、このコンサートの後渡米し、「かけがえのない先生」ゲイリー・バートンとのレコーディングに臨む。この夜、そのために書かれた新曲が2曲披露された。1曲目は「イタルパーク Ital Park」というタンゴ。ゲイリーのバンドに加わった若き日の小曽根は、クリスマスイブをアルゼンチンのブエノスアイレスのクラブで迎えた。そこで、ビアソラのバンドと共演し、タンゴのすばらしさに圧倒され、強く影響されることになったのだという。イタルパークは、ブエノスアイレスにあった遊園地の名前であるが、その遊園地のイメージを曲にしたもの。小曽根の音楽の核のひとつであるラテン音楽へのデディケーションを示す一曲といってよい。もう1曲は「ダンシング・アット・ザ・B...  Dancing At The B.P.C.」。 B.P.C.とは、 The Berklee Performance Centerのことで、小曽根とゲイリーが出会ったバークリー音楽大学に附属するコンサートホールの名前である。もちろん、この一曲は、恩師ゲイリー・バートンへのすばらしいオマージュ。小曽根のピアノソロでの演奏は、もちろんすばらしいものであったが、アルバムのリリースと、それをひっさげてのコンサートツアーが、今から待ち遠しくてならない。小曽根真の「近未来」に出会った。

 第Ⅱ部は、レイ・ブライアントの「クバノチャント Cubano Chant」から始まる。小曽根が12歳のとき、「おじ」から譲られたチケットでオスカー・ピーターソンのコンサートに行き、その第1曲として演奏されたこの曲を聴いて、すばらしさに涙が止まらなかったという楽曲である。すでに天才ハモンドオルガン奏者であった小曽根少年が、「一台のピアノでこんなにスイングできるんだ!」と思わなかったら、ピアニスト小曽根真は誕生していなかったわけで、わたしたちファンにとってもかけがえのない一曲なのである。第2曲は「マイ・ウイッチズ・ブルー My Witch’s Blue」。わたし自身が小曽根に出会った頃の「ヴィエンヴェニドス・アル・ムンド Bienvenidos al Mundo 」がそうであったように、この曲は「今」の小曽根真を象徴するテーマ曲であり、ほぼすべてのコンサートで演奏されている。いわば小曽根の体温計と言ってよい。共演者との関係、ホールとの相性、気温、湿度、天候、そして聴衆との距離感によって、毎回異なるアレンジと演奏で、この日この時だけの小曽根真が提示される。もちろん東京文化会館小ホールのインティメイトな空間を象徴するようなすばらしい演奏であった。第3曲は、1995年のアルバム「Nature Boys」からの美しい「ビフォー・アイ・ワズ・ボーン Before I Was Born」。この曲はソロコンサートでしか聴けない美しく繊細なスローバラードである。宙を見つめ、ピアニストと聴衆の肉体を浄化してゆくように歌われるこの曲のメロディが、今もわたしの耳の中で鳴り続けている。

 第4曲は「エミリー Emily」。「エリス・マルサリスに教えてもらうまで、きちんと知らなかったこの曲が、今どうしてこんなに近く感じられるのだろう?」と小曽根は語る。先日のエリスとのデュオコンサートでももちろん演奏されたこの曲を今夜はソロで…。エリスへのレスペクトと愛、そしてエリスを通じて感じとったジャズミュージックの歴史への献身、今まさにジャズミュージックへ原点回帰しながら、あらたな音楽創造の場へ立とうとする小曽根の思いと決意とが、ひとつの楽曲に結実したあまりにも美しくせつない演奏に、わたしは涙を禁じ得なかった。第Ⅱ部の最終曲(第5曲)は、「ワイルド・グース・チェイス Wild Goose Chase」。1994年のアルバム「BREAKOUT」からの楽曲である。「この曲は、最近YAMAHAから出版された楽譜集に採譜されて入ってるんですけど、その楽譜見ても僕はとても弾けません」と言って聴衆を笑わせる小曽根であるが、それはただの軽口だと直ちに証明してしまう。早弾きでかつメロディアスなこの曲を、小曽根は一息で駆け抜けて見せた。ホール全体が熱狂したのは言うまでもない。万雷のオベーションが続いたのである。アンコールは、「ドゥノウホワットイットンズトゥミスニュリンズ Do You Know What It Means To Miss New Orleans」。「父から教えられていたこの曲を知っていたことで、アメリカに行って、どれほど多くのミュージシャンと心を交わしあい、ともにセッションが出来たかわからない」と小曽根は言う。もとろんエリスともそうだった。「Pure Pleasure for The Piano」にも収録されているし、先日のデュオコンサートの際も演奏されていたこの曲を今夜はソロで。約二時間のコンサートを締めくくるに最もふさわしい音楽と人への愛に満ちた選曲であった。この曲に表現されたジャズミュージックのスピリットをひとりでも多くの人に知ってもらいたいという小曽根の願いと祈りが、わたしたち聴衆の心を直接強く打ったのでもあろう。わたしたちは去りがたい思いを強く残しながら、コンサートホールを後にしたのである。

 ジャズミュージックの歴史、クラシック音楽との融合、尊敬するミュージシャンとの出会いと影響、そうしたさまざまな異なる時間の軸が、ひとりの音楽家小曽根真の中で交錯し、咀嚼され、再構成されてゆく。優れた音楽家は、このようにして生まれ育まれ、気づき感じとり苦悩しながら、音楽の中で生きてゆくという凄まじい「いきざま」を、わたしはこのコンサートで見ることができた。音楽家にとって、回顧するほどの経験と歴史を持つことは悪いことではない。むしろ前を向いて走り出すためのブースターである。小曽根真は、音楽の前では今でも少年のように純粋であり、やんちゃな部分を持っているから、「円熟」などという言葉ではとうてい表せないが、それでもわたしは十数年来のファンとして、これからの小曽根が一番いいぞ!という確信めいたものがある。世界の音楽シーンの中で小曽根の立ち位置は独特で、小曽根のパースペティヴからしか見えないもの、伝えられないものが、あまりにもたくさんあるからだ。楽曲を創作し演奏するだけでなく、それを下の世代に伝えてゆく責任もある。そして、小曽根はもう実際にそういうチャレンジをし続けているのである。同時代を生きる者として、その現場に立ち会えるこれほどうれしいことはない。どうかひとりでも多くの方々にコンサートホールに足を運んでいただきたい。小曽根真の音楽に直接触れ、できたら小曽根真と言葉を交わしていただきたい。きっと人生が豊かになるはずだから…。(了)

2013年2月 8日 (金)

”PURE PLEASURE FOR THE PIANO”ライブレポート

 エリス・マルサリス&小曽根真のピアノデュオコンサート”PURE PLEASURE FOR THE PIANO”を、横浜青葉台・フィリアホールで聴いた。東日本大震災とハリケーン・カトリーナの復興支援チャリティとして同名のアルバムがリリースされて から半年。エリスは、昨年9月東京ジャズフェスティバルに出演のため来日し、小曽根やクリスチャン・マクブライド、ジェフ“ティン”ワッツらとのすばらし いセッションを繰り広げ、聴衆を魅了したが、残念ながら私自身はその場に居合わせることができなかっ た。だから、今回のコンサートには特別な期待を持っていたのである。ヤマハのフルコンサートグランドピアノCFXが二台組み合うように置かれたステージ は、インティメイトでタイトな、ふたりのピアニストの関係と音楽とを象徴するようでもあり、ときにはすさまじい挑み合いとチェイスとを展開するためのコッ クピットのようでもあった。エリスは、このCFXをとても気に入っているようで、東京ジャズの際には、リハーサル室に置かれたこのピアノの前を、なかなか 離れようとしなかったそうである。フィリアホールは室内楽用の比較的小さなコンサートホールであり、だからこそ、この二台のヤマハ製フルコンの奏でるメロ ディは、ふたりのピアニストが床を踏みならすリズムとともに、私たち聴衆の心と身体に、直接作用した。

 エリスは79歳。奇しくも小曽根の父実と同年である。ステージの上を、大きな身体を揺らすようにゆっくり歩き、ピアノの前にゆっくりとどっしりと座る。 エリスの前ではCFXさえ小さく見えるほどだ。小曽根の問いかけに、遅れ気味に応えるこのチャーミングなグランドダッドは、しかし、演奏をはじめると全速 力で疾走しはじめた。あるときはメロディラインを流麗に奏で、あるときは小曽根の才気溢れる挑発に端正なバッキングで応じる。ジャズ界のレジェンドの語り は、ラグタイムのストライド奏法にはじまり、ブルースで泣き、ワルツで踊って、やがてスイングの強烈なグルーブ感に収斂していった。エリスと小曽根との親 密なアイコンタクトは常に笑顔で交わされ、かけがえのない時を共有しているよろこびとせつなさ、そしてお互いに対するレスペクトの思いが、聴衆にも手に取 るように理解された。ジャズミュージックの底抜けの明るさの中に、静謐でホーリーな精神性を感じることができる稀有なコンサートであった。ふたりの偉大な アーティストに心から感謝したい。

 ステージングも、聴衆を驚かせるすばらしい工夫がなされていたが、最後のコンサートを控えているので、ここでは書かない。最終日の彩の国さいたま芸術劇 場に行かれる方はお楽しみに!演奏される楽曲も、アルバムに収録されているものの他に、驚くようなすばらしい曲が準備されている。こちらも期待していただ きたい。我慢できないから一曲だけ触れるのだが、”Limehouse Blues”が聴けたのは私にとって僥倖であった。1922年にフィリップ・ブラハムによって作曲されたこの曲は、ガートルード・ローレンスによって有名 になった。彼女の伝記映画“Star!”は、ロバート・ワイズ監督がジュリー・アンドリュース主演で1968年に撮ったものだが、私はこの曲をこの映画で しか聴いたことがなかった。とてもオリエンタルでエキゾチックなブルースだが、この曲を、エリスと小曽根のデュオで聴けるとは思ってもいなかったのであ る。小曽根から楽曲名がコールされたとき、腰が抜けそうになり、演奏を聴いて立てなくなったことだけは、ご報告しておきたい。

 最後に、ふたりの偉大なピアニストにもう一度感謝を捧げよう。

 終演後、小曽根はこう語った。「今日は楽しくてしかたがなかった。これが僕の音楽のルーツなんです。すべてのルーツ。No Name Houseも、その他の活動すべても、ここから始まっているんです。この思いや感動を、国立の子たちや若いミュージシャンたちになんとか伝えたい。」

2012年10月14日 (日)

小曽根真 featuring No Name Houses ライブレポート 2012.10.13

 あの感動のトリオの公演から一月もたたないというのに、小曽根真はアメイジングなビックバンドを引き連れて僕たちのところへ帰って来た。小曽根真 featuring No Name Houses ”Road” ツアー最終公演を、グリーンホール相模大野で聴く。

 20043月にリリースされた伊藤君子のアルバム『Once You’ve Been In Love 一度恋をしたら』の発売記念ライブが、赤坂B♭で行われてからはやくも8年半の年月が過ぎた。あの左右に広がる赤坂B♭のステージに重なるように座り、ボーカルの伊藤君子・ドラムの海老澤一博夫妻を祝福すべく集まったこのメンバーたちの暖かい思いと限りない音楽への情熱は、千数百人の聴衆を迎える大ホールにおいても少しも変わることはない。むしろ公演を重ねれば重ねるほどタイトになってゆくバンドの一体感に、ジャズミュージック特有の親密さと微笑みが加わって、聴衆はファーストコンタクトで彼らに魅了された。

 一曲目はオスカー・ピーターソン作曲の”Noreen’s Nocturne”(未録音)だが、闇の中でひとりベースが歌いはじめ、続いてドラムが、そしてピアノが加わってリムズセクションがそろう。そこに、強力なホーンセクションが呼び入れられて演奏が一気に高みに登りつめるという、胸の高鳴る演出が準備されていた。これは、ストーリーテリングを意図する”Road”ツアーならではの趣向で、繊細な照明のワークに象徴されるステージングのすばらしさも、あわせて彼らの新境地と言ってよい。

 第一部では、小曽根をはじめとするメンバーのオリジナル楽曲が次々に演奏されたが、これはいわばこれまでの回顧。オリジナル楽曲でビックバンドジャズの最先端を切り開いてきた彼らのプライドであり、アンサンブルで対話するだけでなく、作品の読解を通じてお互いを音楽家として深く理解しレスペクトしてきたNo Name Houses たちの自画像である。もちろん、演奏は常にギリギリを攻めるチャレンジングなもので、僕たち聴衆に息をつく間も与えてくれない。最高峰のテクニックを誇るミュージシャンたちの稜線上のプレイを、心ゆくまで堪能することになった。特筆すべきは、トリオで演奏された”My Witch’s Blue” で、このビックバンドを支えるリズムセクションの強力さに改めて感動した。小曽根、中村の息のあった熟達のプレイは言うまでもないが、高橋信之助のドラミングが生み出すばらしいグルーブ感は、この小曽根作曲のユニークな楽曲をさらに新たな高みに誘っているかのようだった。もちろん、彼の音楽的進化は彼自身の才能によるものだが、No Name Houses での豊かな対話の経験が、彼を育ててきたことは間違いない事実でもある。僕は、彼がNo Name Housesに加入した最初のツアーから聴き続けているが、彼の成長はまことに凄まじいもので、それだけ内面的な葛藤も多かったのではなかったかと想像する。しかし、そうしたメンバーひとりひとりの歴史を抱え込みながら、そしてそのことをお互いに理解し尊敬しながら、今の時を迎えているNo Name Houses である。おそらくこれは、ひとり高橋だけに起きたことではない。

 第二部は、小曽根の新曲 “Road” (未録音)が演奏されたが、こうしたメンバーたちの思いをつぶさに表現し、さらにNo Name Houses の将来を指し示す特別な思いが込められた大曲であった。発足当時のNo Name Houses は、メンバーのひとりひとりが、小曽根とひとときでも長く一緒にいたい、演奏していたい、音楽の話をしていたいという思いが横溢したバンドだと、僕には見えた。演奏から、その喜びのパワーが溢れ出ていた。そして、それは八年の時を経た今でも少しも変わっていないように思われる。だがこの間、日本の政治経済は混迷を深め、そのうえに東日本大震災という未曾有の災害を経験することとなった。そして音楽の世界も激変した。現在がプロフェッショナルな音楽家にとって必ずしも幸せな時代でないことも事実なのである。結婚する、こどもが生まれる、こどもが成長する、ときには病魔にも襲われる。ひとりひとりに人生があって、かけがえのない家族もいる。人生は苦悩と葛藤だらけだ。しかし、その中にあって、小曽根真とNo Name Houses たちは、ミューズの顔を望み見て、自らの作り出す音楽の前にすっくと立とうとしていた。僕には、この46分にも及ぶ楽曲が、その宣言のように思われたのである。ひとりひとりが音楽の神に選ばれた高度なテクニックを持ち、それをプロフェッションとすることを許された幸せを、かみしめるように演奏する。15人のメンバーひとりひとりが、ソロパートを担当し、それを14人の仲間たちが豊かな対話の中で支えてゆくという構成は、一見派手ではないが豊穣な世界の開示であり、喜びのシェアなのであった。やがて、メンバーの思いはひとつとなって、すさまじいグルーブ感に導かれてゆく。最終ステージで、これでツアーが終わりこの愛すべきメンバーたちとしばし別れなければならないという愛惜の情も加わって、すばらしい演奏であった。その静謐なエンディングは、彼らの将来を十分に予感させるものであったと報告しておきたい。No Name Houses はまたすぐに僕たちのもとに戻ってくるであろう。

 アンコールでは、会場に聴きに来ていたピアニスト塩谷哲をステージに呼び入れての連弾、”Toil & Moil”。これはもう喜びがはじけたお祭り騒ぎで、セカンドアンコールの”Corner Pocket”とともに、聴衆を熱狂させた。前夜の伊藤君子に続いて会場に姿を現した海老澤一博の胸にも、こみあげてくるものがあったに違いない。

 小曽根真とNo Name Houses の冒険はこれからも続いてゆく。僕たちは、目を離すわけにはいかない。彼らと同じ時代を生きていることが、僕たちの誇りであり、ささえでもあるのだから。

20121013nnh

 

2012年9月22日 (土)

小曽根真トリオ ライブレポート 2012.9.19

 これはいつか見た光景だったのだろうか…、強烈な既視感にドライブされながら、僕は席を立ち、ステージ上で肩をしっかりと組んだ音楽家たちに惜しみない拍手をおくっていた。

 

 しかしそれはむしろ、はじめて見る光景だった。小曽根真、クリスチャン・マクブライド、ジェフ“ティン”ワッツ、この類いまれなる才能に恵まれた三人の音楽家によるジャズトリオは、はじめてのジャパンツアーを、ここブルーノート東京で打ち上げ、聴衆からスタンディングオベーションを受けていた。鳴り止まない拍手と歓声は、三人の疾走するインタープレイから産み出された極上の音楽への尊敬と感謝の念を表現したものであり、音楽家と聴衆とが抱擁するように対峙するジャズクラブでの、したたるような幸福な瞬間なのだった。オーセンティックなジャズトリオの形式と語法は、この夜、この三人のアンサンブルによって鍛えられ、新たなものとされたのだが、その創造の現場に立ち会うことができた僕たちの幸福感は、とうてい一言では表しえないものである。

 

 ジェフ“ティン”ワッツの大きな肉体は、演奏中微動だにしない。彼は自らの手元を思いやることさえなく、聴衆の先にある虚空をじっとみつめながら、力強いドラミングを続けるのである。その半眼で思惟する穏やかな形相は修行僧のようでもあるが、彼の身体を取り囲むようにタイトに配置されたドラムセットから繰り出される正確なリズムは、それが完全に彼の肉体の一部でありことを確信させた。パワープレーの局面を迎えても、彼の肩が静かなフォルムを維持しているのは、彼が腕の重みだけでスティックを最も適切な場所に落としているからで、叩くのではなくドラム自身に歌わせているからである。一音一音を粒立って聞かせる彼の絶妙なスティックコントロールは、この新しいトリオの心臓として、僕たちの聴衆の呼吸とトリオのそれとを完全に一致させてくれたのである。

 

 この夜のクリスチャン・マクブライドは、その天才的なピチカート奏法に加えてアルコ奏法の魅力をあますとことなく伝えてくれた。若き日にクラシック音楽を学び、弦楽アンサンブルの経験があるという彼のアルコ奏法には定評があるが、前日のファーストセットでは用いなかったこの奏法を自在に用い、音楽に深い陰影をつけることに成功した。特に驚いたのはMy Witch's Blueで、小曽根のピアノの東欧風の主題の提示に対して、アルコで応じたクリスチャンのベースが絡みつき、まことに哀愁を帯びた幻想的な世界を出現させたのである。クラシック音楽にインスパイアされた曲想の劇的な変化は、このトリオにして起こし得た価額変化の謂であり、ジャズだけでなくすべての音楽への豊穣なメッセージでもあった。もちろん、クリスチャンの正確無比なピチカートは健在で、目の覚めるようなはやさで演奏されるハイノートでの掛け合いは、僕たちをとことん魅了したのである。

 

 小曽根真といえば、ひさしぶりのトリオでの演奏を、この上なくいつくしみ楽しんでいた。ジャズの申し子としてのこの世に生を受けた天才少年が、いまや成熟の極みで、音楽の神にもういちど選び直されようとしている。いや、小曽根ほどの才能を持ってしても、毎回のステージで神に選び直されないかぎり、感動的な演奏はできないということを、小曽根自身が一番よく理解しているのだろう。多忙なスケジュールをやりくりし、小曽根とのセッションをなにものにもかえがたいものとして来日した二人の偉大なミュージシャンへの尊敬と愛とが小曽根を心からの笑顔にする。そして、世界一とも言われるブルーノート東京の聴衆へ、親しい友人を紹介するようにして最高の音楽を届けてくれるのだ。僕たち聴衆は、オープンマインデットなミュージシャンたちの産み出すグルーブの中で、ただただ自分の仕方でダンスを踊るだけなのである。ジャズクラブでの楽しみは、導入部で互いの出方をさぐる音楽家の「驚き」を共有できることであり、その「驚き」が渾身のソロプレイに結実する過程を目の当たりにすることであろう。小曽根の「いたずら」好きは有名だが、日を追って饒舌になるクリスチャンとジェフの「いたずら」も巧みで、世界的なジャズミューシャンの親密なチャットの中に身を置く僕たちは、彼らの極めて熱い溜息を体感することができた。そう、これがジャズなのだ。

 

 最初に述べたデジャヴとは、この小曽根真の姿だったと今思う。ステージ上で心のままにスイングし、天井を見上げてバラードを歌いあげる小曽根の姿を見て、この世界一チャーミングな音楽家とのが走馬燈のように思い出され涙を禁じ得なかった。音も匂いと同じように極めて原初的な感覚である。2001年の夏のツアー最終日の公演が終わった後、押さえがたい感動に突き上げられながら、横浜の自宅まで歩いて帰ったことをありありと思い出していた。あの日は台風の影響で横なぐりの雨が降っていたのだが、その雨の街の匂いまでが鼻の奥によみがえってきたのだった。この十数年に聴いたすべての楽曲と公演、コンサートホール、訪れた街、そして小曽根の言葉と笑顔、さらに感動を分かちあった友人たちの顔が、僕の心の中を去来する。やがて、あの日ブルーノート東京のステージでスタンディングオベーションを受けていた小曽根真の姿が、この夜の彼の姿に重なった。しかし、充実した四十代を過ごし多くの音楽的キャリアを積み上げてきた小曽根は、もう昔の小曽根ではなかった。彼がトリオ・ミュージックにカムバックしたのではない。トリオ・ミュージックが彼を呼び戻したのだ。トリオというジャズの定型が、いかに喚起力を持っており、人々をインスパイアするかということを、僕たちは今年の小曽根真トリオで知ることとなった。そしてそれは、僕たちファンにとって僥倖としか言いようのない経験であった。

 

 思えば2001年のブルーノート東京公演は、あの9.11の悲劇の直後に行われたのだった。2012年の公演は、3.11の東日本大震災から一年半、それに続く原子力事故が収束を見ない中で行われている。残念なことに、世界は少しもよくなってはいない。平和を安全も正義も、まだ理想でしかない。もちろん、芸術や音楽は、直接的に問題解決するための手段とはなりえないだろう。しかし、偉大な音楽家たちが互いを尊重しながら新しい音楽をつむぎ出し、聴衆たちが熱狂の拍手をおくるというライブにしかあり得ない一体感は、十分に人を信じ愛することのレッスンにはなりうるはずだ。だからこそ、小曽根真に託された世界の未来を、小曽根は生きつづけてゆかなければならない。それはとてつもない重責だが、小曽根真は笑顔で時代を駆け抜けてゆくであろう。

 

 もうあのすばらしい瞬間からすでに一日が経過した。ゆるやかな時の経過の中で、僕にはわかったことがある。それは、敬愛する音楽家と同時代を生きつづけてゆく人生は、ほんとうにすばらしいということである。僕には小曽根真がその人である。彼と彼の音楽がなかったら、僕は困難な四十代を生き抜くことができなかっただろう。だからこそ、僕はこれからも、最新の小曽根真と出会ってゆきたい。(了)

2012年9月19日(水) ブルーノート東京 セカンドステージ 21:45〜

 

 

 

 

小曽根真トリオ ライブレポート 2012.9.18

すべてが圧倒的だった。

そもそも音楽を圧倒的だと表現すること自体、批評を放棄したことであり、自らの無能を告白する以外のなにものでもないが、 実際言葉にならないのだからしかたがない。だからといって、ブルーノート東京から帰ったきて数時間たつというのに、僕の全身をめぐる血液はいまだ煮えた ぎっており、超越的ななにものかに触れたという痕跡を明確に残している。
ベースのクリスチャン・マクブライド、ドラムスのジェフ”ティン”ワッツ を迎えた今回の小曽根真トリオの演奏は、その”圧倒的”なグルーブ感で東京の聴衆を魅了した。オーセンティックなトリオ編成が、すぐれた三人の音楽家の豊 穣な対話を生みだし、この世のどこにもなかった音場空間を出現させる時、音楽の神は演奏家と聴衆とに等しく微笑むのである。その瞬間の一体感こそジャズの 真骨頂であり、自らのキャリアを新たな音楽の中に解体し、音楽の中で再構築することでしか生きられないジャズミュージシャンたちのソウルに直接触れること ができる。

大きな肉体から産み出されるジェフ”ティン”ワッツのドラミングは、前に前にでる力強いものだが、実はたったひとつの装飾音さえ粒だって聞こえる繊細きわ まりないもので、オーソドックスなドラムセットからたたきだされるグルービーなリズムは、このトリオのキャラクターを雄弁に物語っている。クリスチャン・ マクブライドのベースは、極めて高度なテクニックでブルースの旋律を高らかに歌いあげ、小曽根の微分されたメロディに絡みつく。この二人のストレートア ヘッドな音楽家に刺激されながら、小曽根は世界中のあらゆる音楽にインスパイアされた独自の音楽世界を開示するのである。緩急自在なこの三人の音楽家の対 話は見事で、僕たち聴衆を濃密な笑顔のアイコンタクトの中に引き込んでいった。
大阪公演を終え、クリスチャンとジェフの”関西弁”も聴けて、コミックバンドとしての仕込みも十分だが、その洗練されたステージングは、ツアー最終日のステージでも今夜もあますところなく示されることだろう。

僕はもちろんセカンドセットに駆けつける。小曽根真は出会った十数年前から僕にとって常に事件であり、今夜も昨夜と違った何かが起こるに違いないからだ。

2012年9月18日(火) ブルーノート東京 ファーストステージ 19:00〜

2012年8月31日 (金)

フロントページオーケストラ ライブレポート

昨夜はひさしぶりに南青山Body&Soulでライブを堪能しました。区画整理が進んで大通り沿いとなり、危うく通り過ぎそうになりましたが、急な階段を降りるとそこはいつものハートウォーミングなライブハウスBody&Soul。私たちをあたたかく迎え入れてくれました。

三木俊雄さん率いるフロントページオーケストラは、十数年前に友人の紹介で聴いたのですが、はじめてのライブで受けた衝撃が今でも忘れられないでいます。それぞれが高度な技量を持った金管奏者たちが織りなす豊かで壮麗なメロディが、タイトでストレートアヘッドなリズムセクションに支えられて、聴く者の身体を包み込み、音楽の高みに連れ去ってゆく。音楽によって重力を失ってゆく経験と、その瞬間の甘美さ。演奏する楽曲のほとんどがオリジナルで、あくまでも音楽と音楽家の可能性を追及しようするこの稀有なビックバンドの高い志は、このバンドのオリジンと言ってよいのですが、それは昨夜の演奏でも健在でした。いやむしろ、すでに日本のジャズ界の中核を担うようになったメンバーたちの飽くなき音楽への思いは、先鋭化しているようにも思えたのです。

Body&Soulはライブハウスとしては決して小さな店ではないのですが、十人のビックバンドと楽器とがフロアに並ぶとただならぬ存在感を示します。オーディエンスと顔をつきあわせることにもなるのです。しかしだからこそ、ホーンからあふれ出るメロディを直接聴くこともできるし、その音の重層による音の圧力を生身で感じることもできる。メンバー同士のアイコンタクトや指示、仲間のすばらしい演奏に対する賞賛の言葉や握手、楽譜を見ながらの楽曲への批評、それがオーディエンスの目の前で包み隠さず行われるのです。私たちは、志を同じくする仲間とぎりぎりの高みでセッションする彼らの喜びの中に、招き入れられるのです。これこそジャズミュージックの真骨頂なのでした。

昨夜は新曲として、ミルトン・ナシメント作曲の「タルジ」が披露されました。これは三木さんが若いときに、特に強い影響を受けた楽曲。二十数年ぶりに聴いて「これがやりたかったんだ!」と思いアレンジをはじめたとのことでした。ラテンといっても、ナシメントの曲はキャッチーなフレーズがなく、むしろ転調・変拍子の連続で、アレンジは困難を極めたようですが、ユーホニウムをフィーチャーしたすばらしい豊かなボリュームの楽曲に結実していました。彼らにとってはあたりまえのことでしょうが、初演とは思えないすばらしい演奏であったことは報告しておかなければなりません。

私は、ひとつひとつの楽曲、ひとりひとりの技量についてコメントする能力を持ちませんが、フロントページオーケストラは、今聴くべき音楽のひとつだと確言できます。十数年前、私は最初のレポートで、この楽団を「今が旬」と書いたような気がしますが、ほんとうに失礼なことをしたものだと反省しています。「今こそ旬」そして「これからもずっと旬」であり続けるその覚悟を、私は昨夜の彼らから見てとりました。毎月最終木曜日にフロントページオーケストラの演奏を聴くことができます。是非南青山Body&Soulへ!

 

本日のメンバー

三木俊雄、浜崎航、浅井良将sax崎好朗、松島啓tp、片雄三tb、山岡潤eup、福田重男p、上村信b、柴田亮ds

Body & Soul

http://www.bodyandsoul.co.jp/

 

 

 

2008年5月12日 (月)

まんまるスマイル

NHKの「おかあさんといっしょ」という番組の中に、今月のうたというコーナーがあります。

五月は「まんまるスマイル」という曲で、作詞は中西圭三と田角友里、作曲は中西圭三、

編曲は小西貴雄という「ぼよよん行進曲」のコンビです。

またまた、とても元気のでる曲ですので、是非おとなのみなさんにも

聞いていただければと思います。

我が家では大ヒット中です!

NHK おかあさんといっしょ

http://www.nhk.or.jp/kids/okaa/song/index.html

2008年5月 3日 (土)

弟のライブに行ってきました

新学期がはじまると同時に、今までの比較的のんびりした生活が一変。こんなに更新の間隔があいてしまっては、ブログでもなんでもないですね。これからは少しずつでも書いてゆこうと思っています。

よせばいいのに、新基軸の授業改革も初めてしまったので、また睡眠時間が四時間程度の日々が続いています。今年度の改革もかなりドラスティックなものになっていますが、生徒の反応もなかなかなので、近いうちにご紹介します。授業準備に時間がかかるのがたまに傷です。

唱歌研究のほうも、この半月で著しく進みました。そろそろその成果をまとめなければなりません。睡眠時間を削るしかありませんが…。

そんな中、弟中西圭三のライブに行ってきました。先日ご紹介したミニアルバム『II'm home』の発売を記念してのライブです。会場は銀座ブロッサムというホールでした。

最近の圭三は、ジャズや他の分野のアーティストとのコラボレーションライブなど、しっとり落ち着いた雰囲気のライブが多かったのです。僕は、彼のチャレンジをすばらしいと思いますし、それはそれで大好きなのですが、この日のライブはひさびさにバンドを入れての、大ポップス大会!とりわけ後半は、アップテンポでダンサブルな曲の連続で、それはそれは楽しいライブとなりました。ファンの方々もそれを待っていたような大爆発!ホールが一体となって揺れていました。

僕はというと、ステージを見ながら涙がとまりませんでした。ポップスで育てられたアーティストが、再びポップスのど真ん中に帰ってきたときの凄みを見た感じがしました。やはりホームグラウンドはすばらしいのです。アンコールの「ぽよよん行進曲」では、小さなお子さんがあちらこちらで飛び跳ねていて、そのことにも感動しました。歌の力を信じます。弟の歌で泣ける幸せを感じています。

東京でのライブは終わりましたが、大阪・名古屋での公演はこれからです。もしよかったら、足を運んでいただけるとうれしいです。詳しくは、中西圭三の公式ホームページをご覧下さい。

http://www.keizo.jp/

2008年4月12日 (土)

神谷えり"duos"

Duos RYOさんにご質問にお応えして…。

去年リリースされたシンガー神谷えりさんのアルバム"duos"のライナーを書かせていただきました。

すばらしいミュージシャンたちとのデュオセッションを集めたアルバムです。

是非お聴きになってください。

神谷さんのCDをリリースした Myriad Production のフリーペーパーに寄稿した文章をご紹介します。

人が人の前でニュートラルな姿勢を保つことは存外難しい。日常生活の中でさえそうなのだから、個性と個性とがぶつかりあう芸術表現の場ではなおさらであろう。神谷えりは、アルバム”duos”の中で、その抜き差しならない不可能に挑戦し、それを見事に実現している。あたかも古武道家のように一瞬だけ自分の存在感を消し、相手の力を使って投げられる…投げ返す。武道ならどちらかがバタリと倒れていれば勝負ありだが、音楽のセッションの場合は、ふたりがスクッと立ち、しかも愛しあっていなければならない。抱き合って互いの瞳の奥底を見つめあうのか、肩を組んで同じ希望に向かって涙するのか。それは、歌われる楽曲と、楽器の音色と、そしてなによりも共演するミュージシャンの個性のありかたによって、自動的に選ばれることだとでも言うように、神谷えりはのびのびと歌う。そのニュートラルな姿勢を可能にしているのは、彼女のとてつもなく個性的な声と、その短からぬ音楽家としてのキャリアであろう。神谷えりは「歌」で世界や人に対する愛を表現する。しかし、彼女がほんとうに強くなれたのは、音楽によって深く愛される経験をしたからなのだし、ニュートラルな自分を相手の前に投げ出す勇気を彼女自身が持ったことによる。”duos”に治められた美しい曲の数々は、おのおの十分に個性的でありながら、大きな彼女の「物語」を紡ぎ出してもいるのである。▼神谷えりのライブを聴きにゆくと、彼女のソウルフルな歌声が直接心の琴線に触れてきて、涙がとまらなくなる瞬間がある。帰宅して、あの歌は何語で歌われていたのだろうとふと記憶をたどるが、思いつかない。、彼女は今のところ、英語・日本語・そしてハワイアンで歌うが、語学の達人でもない僕が、あっという間に言葉を超越した世界に連れてゆかれる。それほど彼女の「歌」は圧倒的だ。おそらくは、彼女は少女時代から、自分の前を通り過ぎる「歌」のことごとくを、自分の声で歌わずにはいられなかったのだろう。そんな少女の天真爛漫な好奇心が、今豊かな成熟の時を迎えている。思いとテクニックとが見あうというのは、こういうことなのだろう。”duos”はそんなアルバムである。"F-air"01号

Amazon

http://www.amazon.co.jp/duos-%E7%A5%9E%E8%B0%B7%E3%81%88%E3%82%8A/dp/B000V5J1VS/ref=pd_bbs_sr_1?ie=UTF8&s=music&qid=1207960537&sr=8-1

2008年4月 4日 (金)

No Name Horses

“No Name Horses” directed by Makoto Ozone

2008/3/30 sun. 20:30

Blue Note Tokyo

Second Show

Set List

01 OK, Just One Last Chance? (Makoto Ozone)

02 Stepping Stone (Toshio Miki)

03 Portrait of Duke dedicated to Herb Pomeroy (Makoto Ozone)

04 You Always Come Late (Makoto Ozone)

05 Reconnection (Eric Miyashiro)

Encore

06 Rhapsody in Blue (George Gershwin)

07 No Strings Attached (Makoto Ozone)

Ending

08 Toil Moil (Makoto Ozone) 

なにか変だと思った。とても変だと思った。だって、ツアーの最終セットが、きっちり1時間5分で終わったのだから。
 演奏されたどの曲も完璧なアンサンブルだった。息のあったビッグバンドの強烈な音の圧力を身に帯び、常識を超越したハイトーンからフロアを震わせるように立ち上がってくる低音まで、この世に存在するありとあらゆる音が、溢れ出しスイングしていた。三木さんが、自らの曲Stepping Stone “の解説をするとき、「もうこれで最終セットかと思うと感無量です」といって立ちすくむ姿を見た。僕たちオーディエンスはこのすばらしいミュージシャンたちと共振し、深く感動した。"You Always Come Late"の命名者の方が紹介されて喝采を浴びた。エリックの曲”"Reconnection"の、名前の由来のすばらしさを、僕たちはその演奏で「経験」した。それは、すばらしく充実した完璧なステージだった。

 でも・・・なにか変だった。小曽根さんのソロもなかったし、あっという間に最終曲になった。何かかある!でもその何かがわからない。
 小曽根さんは、ステージの冒頭でオーディエンスに「今日は終電に乗り遅れてもいいですか?」と冗談まじりに問いかけていた。サックスの岡崎さんの紹介のときに、「彼はクラリネットもすごくうまくて、今夜ももしかしたらそれが聴けるかもしれません。」と言ってもいた。でも、それが伏線だとは誰も思わなかっただろう。
 解き明かしは、アンコールだった。うなりをあげるオベーションの中で小曽根さんは言った。「今回はは最終ステージですから、少し長い曲をやってもいいですか?でも、この曲はオリジナル曲でもジャズのスタンダードでもないんです。まだCDにも入れていない曲です」エリックがうやうやしく楽譜を広げてみせる。とても長い…何だろう?
 一息ついて、小曽根さんがコールした曲名は、「ラブソディ・イン・ブルー」。オーディエンスたちがどよめいた。「僕は楽譜がないので、見ないでやります」。それは突然決まったことなのかもしれなかった。"No Name Horses"からのこの上ない贈りもの。昨年12月のオーチャードホールで初演された、ビッグバンド版「ラブソディ・イン・ブルー」が、岡崎さんのクラリネットのソロで始まったのである。
 オーケストラ版とほぼ同じ約25分。長い、長い、アンコール。原曲に忠実なクラシカルなテイストを残しながら、ある音で息がぴたっとあうとビッグバンドの咆哮が強烈にスイングしてみせる。ソロパートの自由闊達さが、かえってガーシュインへのオマージュとなる。そして、メンバーひとりひとりへの愛と尊敬と信頼の思いが、ひとつひとつの音に結実してゆく。初演とは全く違う展開だが、でもこれはガーシュイン以外のなにものでもない。あまりにもタイトでスピリチュアルな演奏に、僕たちオーディエンスはあたり前のように、熱狂した。
 ジャズクラブでは珍しいスタンディング・オベーション。ひとりたち、ふたりたち、アンコールの2曲目"No Strings Attached"でフルスイングしたあとは、Blue Note Tokyoが総立ちになった。もう立たずにいられないのだ。そう初めてジャズクラブを訪れた人でさえも。
 金管のメンバーが、客席の間を演奏しながら練り歩き、リズムセクションの3人が控え室の戻ったあとも、オーベーションは終わらない。まるで、クラシックの演奏会のように、メンバー全員がステージに戻って、オーディエンスから賞賛の拍手と歓声とを受けた。ブラボー!
 ロックのコンサートのように客席総立ち、そしてクラシックのコンサートのように鳴り止まぬ拍手。でもそれは、確かにジャズだった。スタンディングオベーション。あのBlue Note Tokyoで!
 それはとても感動的な光景だった。強く胸を打たれた。終わってほしくなかった。オーディエンスはもちろんだが、メンバーたちもみんなそう思っていたはずだった。だから、会場がひとつになった。言葉で説明できない思いを、あの場にいた誰もが感じていたはずだ。
 だから、僕たちは彼らの、"No Name Horses"の次のレコーディングを待つ。次のツアーを待望する。ここまですごくて、だからこれで終われるものか!僕はそんな彼らの声を聞いた気がする。
 僕はだから祈る。はやく彼らに帰ってきてほしい。そう祈る。そして、彼らは僕たちの期待に応えてくれるだろう。

 小曽根さん、"No Name Horses"のみなさん、ありがとうございます。僕はもうこれ以上書けないです。ほんとうにありがとう!

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