中村哲さんのこと
もう二週間前のことになるが、僕の勤務する予備校に、アフガニスタンで医療活動をしておられる中村哲さんが講演に来てくださった。中村さんは福岡出身で、支援組織「ペシャワール会」も福岡に本部がある。そんなわけで、福岡の校舎では何度か講演をしてくださっているが、東京でははじめて…。毎週、福岡から出講している世界史の講師Aさんが司会をつとめた。
僕は、中村さんの講演を二度ほど聴いている。京都の論楽社という民間教育の場。友人の虫賀宗博さんと上島聖好さんが開いた志の高い「学校」で、現在も定期的に講座と月例会を開いている。僕はこのふたりの友人から、ただならぬ迫力のメッセージをもらったときには、素直にその言葉の力に従って京都まででかけることにしていた。そして、そうしたときには、このうえなく豊かな出会いがあった。中村さんもそのように出会った人のひとりである。眼の奥でほほえみながら、とつとつと博多弁で話す中村さんの言葉には、理想に燃える詩人の情熱と、戦場で人の生死を直接見つめる冷厳な現実家の冷静さが同居し、民家の広い座敷を隙間なく埋めた数十人の聴衆を魅了した。なによりも、自らの命を危険にさらしながらも、誰よりも人生を楽しんでいるようであった。そして、戦火と干ばつにさらされるアフガニスタンの現実から、現代の日本社会を鋭く撃つ舌鋒は、厳しくさわやかだった。僕は十数年前、福岡の校舎に二年ほど出講していたことがある。その時に教えた生徒の父親が、中村さんをはじめてパキスタン(アフガニスタンの隣国)に誘った登山家で(なんと当初は蝶の採集が同行の目的だったそうである)、そんなこともあって特別な親近感をいだいていたりもするのだ。
中村さんの現地での活動は、はじめはハンセン氏病の治療だったが、今や医療活動に留まらない。未曾有の干ばつにみまわれたアフガニスタンに灌漑をほどこし、緑の農地を復活させ、難民たちに定住を促している。それは、かつて自給自足の生活をしていた誇り高いアフガニスタンの人々に矜持を取り戻させる活動ですらある。このあたりの活動については中村さんの『アフガニスタンで考える 国際貢献と憲法九条』(岩波ブックレット)を参照していただきたい。現地の人々でもメンテナンスができるように、江戸時代に筑後川で使われていた「蛇籠」の技法を学び、現地の人々に教えて灌漑を完成させるくだりは圧巻で、国際貢献にはお金ではなくいかに卓越した知恵が必要か教えてくれる。
予備校の講演会には、300人以上の聴衆がやって来て、最前列は床に座り、数十人が立ち見をした。聴衆は予備校生だけではなく、大学生、そして社会人もいた。そして、全ての人々が、真実の言葉を求めてやってきていた。中村さんが、スライドを用いてアフガニスタンのリポートをしたあと、質疑応答の時間に入ると、最初こそ遠慮がちだったものの、やがて手がとめどなく挙げられ、収拾がつかなくなるほどだった。それぞれが中村さんの言葉に導かれ、深く思考していたのである。中村さんは言う。「お金があれば、物があれば便利で幸せという考え方は間違いなのです。今の日本は、みなが物を持ちすぎている。便利になりすぎている。それでみんなが不幸だ、不幸だと言っている。アフガニスタンの子どもたちは、親がいなくても、今日の食べ物に困っていてもみんな明るい。そのことを知っておいてください」と。
司会のAさんが、今度NHKで中村さんの番組がありますと紹介した後、テレビ制作会社に勤務するという女性がこんな質問をした。「先生は、さきほど講演の中で、日本のマスコミに対して批判的なことを述べておられました。戦火や干ばつのことについて真実を伝えていないということです。その先生が、どうして今回日本のマスコミの番組を受けられたのか是非教えてください」。詰問する口調ではなかった。彼女自身のために聞いておきたかったのだろう。「それは、とてもよい質問ですね。私は、現在の日本を批判しましたけれども、今あるものをすべて否定しようとは思わない。例えば、新幹線は使います。メディアにも問題はたくさんありますけれども、しかし、現場にゆくと、高い志をもった人がたくさん働いています。そういう人々は、いろいろな制限の中で葛藤しながら、しかし、なんとか真実を伝えよう、日本のマスコミをよくしようと考えています。私は、そのように考え続けることこそが大切だと思います。志を捨てないことです。そういう方とは一緒に仕事をしたいと思います。そして、そういう番組を通じて私たちのしていることを多くの方々に知ってもらいたいと思っています」。
その番組を紹介したい。
NHK 知るを楽しむ この人この世界
アフガニスタン・命の水を求めて ある日本人医師の苦闘 中村哲
教育テレビ 2006年6月、7月
月曜日午後10:25~10:50 全8回
(再放送 翌週月曜日 午前5:05~5:50)
第一回は6月5日「アフガニスタンという国で」。
なお、テキストも日本放送出版協会から発行されており書店で入手可能である。
NHK http://www.nhk.or.jp/shiruraku/
最近のコメント