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日記・コラム・つぶやき

2014年5月17日 (土)

本日からブログを再開します

みなさま

一年以上もアップデートされず、事実上放置してきた私のブログ「スイングするライオン」ですが、本日より再開したいと思います。

活動がFacebook中心になってしまったこと、またライブレポート関係の記事をアーカイヴするための新たなサイトを立ち上げようと考えていたことから、新規書き込みを中止していたのですが、結果として、最近書いたものが私自身見つけられなくなるという事態を招いてしまっています。

新たなサイトの立ち上げの方針は変わっていませんが、スタートまでしばらく時間がかかるかと思われますから、当面このブログを主に活用しようと考えています。

この一年の旧い記事も掲載することになり、その順序もランダムなものになりますが、どうぞお許しください。

唱歌・讃美歌関係、教育関係の記事は、今後もこのブログを通じてアップしてゆきます。

どうぞこれまでの失礼はご寛恕いただきまして、これからもよろしくお願いいたします。

中西光雄

2011年6月 1日 (水)

モンスーンカフェ自由が丘店の三浦店長はなぜ客から誕生日を祝ってもらったのか?

先日、未知の方からメールをいただいた。

私のブログを見て連絡してくださったらしい。

自己紹介のあと、メールは次のように続く。


「本日は、モンスーンカフェ自由が丘店のことでメールしました。

実は、今年に入って、モンスーンカフェ自由が丘店にすっかり
入り浸るようになり、毎日のように、三浦店長をはじめ
スタッフのみなさんによくしてもらっています。

中西さんのブログを拝見して、彼らなら当然そうするよな、とか思いながら、うれしくて仕方ありませんでした。
また、中西さんとの暖かいメールのやりとりもすばらしい。」

 

私の「レストランに行こう!」という記事を読んでくださったようだ。

 

311日の東日本大震災の日、東横線沿線を歩く徒歩帰宅者のために、

ただ一店舗、店頭でお茶をふるまっていたこのお店に、私がお礼に出向き、

三浦店長をはじめ、スタッフのみなさんとのおいしい交流がはじまったお話。

 

さらに、メールは続く。

「それで、ここからが、ご相談ご提案なのですが、
そんな三浦店長の誕生日が525日(水)なのです。

私は毎日ブログを書いていますが、ここのところモンスーンカフェのことばかり書くので、
読者から、「行きたい」という声も多く、この際だから、525日にとにかく
モンスーンカフェ自由が丘店に集まれ、と声がけを始めました。

10
人来るか、100人来るかわかりませんが、そういうわけで、
すでにモンスーンカフェ自由が丘店ファンの人、

初めてモンスーンカフェに来る人が集まります。

もし、中西さんが、この日、いらっしゃることができるようでしたら、
ぜひと思い、声をかけさせてもらった次第です。

モンスーンカフェの一顧客として、三浦店長への恩返しは、ひとりでも
多くの友人知人をモンスーンカフェに連れて行くことだと思い、
今回、このような企画を立てました。

私個人も中西さんとお会いしたいと思っています。
なにとぞ、ご検討くださいませ。」

 

このメールの主は、ザビエルさんとおっしゃり、

なんと私と同学年の方。

モンスーンカフェ自由が丘店は実に若々しいレストランだが、

五十過ぎの男性の琴線にも触れるサービスを提供しているらしい。

 

ほんとうにうれしいメールだった。

私は、一も二もなく参加を決めた。

 

525日、私は横浜での仕事を終えたあと、急いで自由が丘に向かった。

到着は午後10時近かったと思う。

モンスーンカフェ自由が丘店には三回目の来訪。

まだ新人である。

 

店では、店長の三浦花子さんをはじめ、スタッフのみなさんが忙しく元気に働いていた。お店のファンたちが勝手気ままに集まり、おおいに飲み食べ語り、そのことで店長の誕生日を祝う。

午後8時からはじまった会はすでに佳境を過ぎていたが、それでも20人ほどの人々が残っていただろうか。

ザビエルさんは予想通りフランクでとても楽しい人。モンスーンカフェ自由が丘店への愛はひたすら深い。

呼びかけに応えて集まった人々も、気持ちのよい方々ばかりだった。

年齢層も20代から50代まで。男女比もほどよく。これだけの参加者を集められるのは、ザビエルさんのお人柄ゆえだろう。

 

やがて、三浦店長が呼ばれ、プレゼントの贈呈式。営業中のこととて、バースデイソングの合唱はない。そして少しだけあわただしく。ほかのお客さまに迷惑をかけてはいけないからだ。

 

三浦さんは少しはにかんで、しかし満面の笑みで感謝のことばを述べた。そしてまたすぐに、ディッシュをテーブルに運びはじめた。

 

お誕生日おめでとうございます、三浦花子さん。すてきな会に参加させていただいて、私はほんとうに幸せでした。これからも、すばらしいスタッフのみなさんと一緒に世界一のレストランを作っていってください。私はザビエルさんのように毎日はうかがえないですが、ときどき、大切な家族や友人とともに、モンスーンカフェ自由が丘店を利用させていただきます。おいしい食事とすばらしい人と人との絆を、ほんとうにありがとうございます。

 

私は、翌朝がはやいので、小一時間で失礼させていただいた。しかし、駆けつけ甲斐のある、すばらしい会だった。会を企画し、私をお誘いくださったザビエルさんに心から感謝申し上げたい。大震災は、今も私たちに大きな苦痛を与え続けているが、こんな素敵な出会いをもたらしてくれた。人生捨てたものじゃない。

 

翌日、三浦花子さんからメールをいただいた。

 

「中西 光雄さん

 昨日は、通称525モンスーンにご来店頂き、本当にありがとうございました。
終わってからよくよく考えると、中西さんとザビエルさんは本来繋がっていませんでしたよね・・・
どうして中西さんが来てくれたんだろう・・・と頭の中パニックでした。
ザビエルさんに聞いて解決しました。

本当に皆さん、暖かい人ばかりですね。
私は、スタッフにも、お客様にも恵まれて本当に本当に幸せです。
感激いたしました。
○○歳の誕生日、一生忘れません。
そして今後、ますます精進していきます。

本当にありがとうございました。

モンスーンカフェ自由が丘店
三浦 花子」

 

三浦さんの年齢はヒミツ(知りたい方は彼女のブログへ!)。ですが、ほんとうにお若い方。彼女に全幅の信頼を置きお店をまかせておられる㈱グローバルダイニングさんにも敬意を表します。

 

翌日私がTwitter

「おはようございます!昨夜はモンスーンカフェ自由が丘店の店長三浦花子さんのお誕生日会に顔を出してきました。常連客が勝手に集まって店長さんのお誕生日を祝う。ちょっと信じられない素敵な話ですがそれはお店が素敵だからに他なりません。」

とつぶやいたところ、

 

㈱グローバルダイニングの公式アカウント(@globaldininginc)から

「ありがとうございます!!!素敵素敵素敵!うちのスタッフみなさんに愛されていること本当に嬉しく思います。感謝感激()これからも宜しくお願いします。」

と返信があったこともお知らせしておきます。

「素敵素敵素敵!」と「素敵」が三回。きっとすばらしい会社なのだと想像します。

 

さてさて、もしこのブログをお読みになって、三浦店長とスタッフのみなさんに会いたくなったら、まよわず、ためらわずモンスーンカフェ自由が丘店にお出かけください。

ザビエルさんのブログ
http://blog2.studio-xavi.com/

三浦花子さんのブログ
http://ameblo.jp/m-hanako/

 

 

2011年4月16日 (土)

レストランに行こう!part2 震災をきっかけに出会ったすてきなお店のはなし

3月11日の大震災の日、代官山から横浜に徒歩で帰宅する途中、自由が丘で、お茶の無料サービスを行っている料理人姿の男性を見かけました。私の知る限り、あの夜、このような奉仕をしているお店はひとつだけでした。

私は、この震災において、誰が何をしてくれたか覚えていようと思っています。よいことも、悪いこともです。そしてよいことについては、まずお礼を言い、一生それを、その人を大切にしようと決めたのです。

先日、モンスーンカフェ自由が丘店を訪れ、食事をし、お礼を申し上げたことはふたつ前の記事に書きました。

そして、おととい、今度は妻を連れて昼食に行きました。

店長の三浦さん、キッチンのチーフ猶原(なおはら)さん、そして先日もお目にかかったYUKOさんにお目にかかり、改めてすばらしいお店だと感じたところです。

その夜、店長の三浦さんから再度メールをいただきました。ありがたいことです。

是非ご紹介いたしたく思います。

震災後、自粛ムードのなか、外食産業はたいへんな危機にあると聞きます。しかし、こんなすてきな店があり、今日も元気においしい食事で、寒々とした私たちの心を癒やしてくれてもいます。

みなさんに申し上げたいのです。

レストランに行こう!すてきなレストランに行こう!そこでは、料理のほかに愛も提供しています。

(お店からは一切の特典をいただいておりません。念のため。)

【往信】

中西様

本日は、ご来店ありがとうございました!お会い出来てとても嬉しかったです。トムヤムヌードルとパッタイ、お味はいかがでしたか?パッタイは私の一番好きなお料理です!大切な奥様も連れてきて頂いて、私も、お店としてもとっても幸せなことです。これからも、大事な人を連れてきて頂ける店にしていきます!

ありがとうございました。

モンスーンカフェ自由が丘 三浦 花子

【返信】

三浦様

丁寧なメールありがとうございました。またお店でお目にかかれまして光栄でした。

YUKOさんが、私のことを覚えていてくださって、大歓迎してくださったので、まるで親しい友だちの家に招かれたようにくつろいで、昼食をとることができました。

料理もおいしく、エスニック好きの妻も大喜びでした。

私はパッタイをはじめて食べたのですが、いっぺんで好きになりました。

妻は、料理もお店の人々も最高ねと申しております。

仕事柄、私は来週から忙しくなりますので、次に妻とふたりで昼食を食べる機会はずっと先になるのです。

その前に自慢のモンスーンカフェ自由が丘店で食事ができたのは、たいへん幸せなことでした。チーフの猶原さんもご挨拶に来てくださって、直接お礼を申し上げることができてうれしかったです。

妻と、やっぱりお店は「人」だねと言いながら帰りました。満腹で歩くのがちょっとつらかったですが、たいへん幸福な午後を過ごすことができました。

ほんとうにありがとうございました。

今度は食べ盛りの息子たちを連れてうかがいます。どうぞその時にもよろしくお願いします。

ちょっとうれしいことがあったときに、モンスーンカフェに行けば、幸せがみなさんとシェアできるような気がします。

あの不幸な大震災の夜の記憶をきっかけに、三浦さんをはじめすてきなスタッフの方々と知り合えて、神さまもちょっとだけ粋なことをなさるなと思っております。

どうぞこれからも毎日、明るく元気にお客さまを迎えてください。またお会いできることを楽しみにしております。

中西 光雄

2011年4月 6日 (水)

レストランに行こう!(モンスーンカフェ自由が丘店への感謝)

3月11日の大震災の日、徒歩帰宅者のために、店頭で温かいお茶のサービスを行っていた「モンスーンカフェ自由が丘店」。レストラン運営会社の(株)グローバルダイニングに感謝のメールをお送りしました。その後、店長の三浦さんから返信をいただきましたのであわせてご紹介します。レストランに行きましょう!

【往信】

(株)グローバルダイニング御中

3月11日午後、私は知人の結婚披露パーティの打ち合わせのため
あるフレンチレストランにいました。
テレビやラジオの報道で被害は甚大であること、
首都圏の電車はすべて止まっていることを知りました。
余震が続くなか、私は横浜の自宅へ徒歩で向かうことを決意。
東横線がいちはやく復旧することを期待して、
線路沿いの道を歩きました。
それはたくさんの人が歩いていました。
男性ばかりか、女性も、子供連れも、お年寄りも。
駅に近づくたびに鉄道の復旧を期待して改札を覗くのですが、
全く動く気配はありません。
めまいの持病を持つ私には、連続して2時間以上の歩行は
とても厳しいものでした。
自由が丘に着くころにはへとへとになっていたのです。
ある飲食店の前にひとりの白い調理服を着た男性が立ち、
徒歩帰宅者たちに声をかけていました。
「無料で暖かいお茶のサービスをしています。

是非飲んでいってください」。
駅が近いので足早に通り過ぎる人が多かったのですが、
その男性はピッチャーとカップを持ち、繰り返し大きな声をかけているのです。
実は私は、彼からお茶をいただいたわけではありません。
私も急いでいたからです。
ただ、お店の名前は覚えていよう、
そして後日必ずここで食事をしようと思いました。
徒歩帰宅者にお茶を振る舞うというのは、とても小さな善意です。
でも、誰にも簡単にできることではありません。
実際、その日私は、代官山から日吉まで歩いたのですが、
店頭でお茶を振る舞っていたのは、このお店一軒だけでした。
だからこそ、このことを覚えていよう、そして
友人たちや多くの人に語ろうと思ったのです。
電気の消えたエントランスを覗いて見ました。
「モンスーンカフェ自由が丘店」とありました。

震災後3週間たって、昨日、私ははじめてそのお店を訪れました。
ランチをいただきました。
エスニック料理が好きな私には、とてもおいしい料理でした。
この店を知らなかったことを後悔したほどです。
食事が終わった後、思い切ってホールの女性に声をおかけしました。
YOKOさんというスタッフでした。
明るく気持ちのよい女性です・
私が3月11日のお礼を言いに来たんですというと彼女は
とてもよろこんでくれてこう教えてくれたのです。
「あの日キッチンのチーフをしていた『ならはら』がアイデアを出し、
お茶のサービスをはじめたんです。
あの夜お店の前に立っていたのは、その『ならはら』さん自身だったんですよ」
私は、そのならはらさんに感謝の言葉を伝えてくださるように
YOKOさんにお願いしました。
「ならはら」も喜ぶはずだと、YOKOさんは言いました。

私には知りたいことがあったのです。
「モンスーンカフェ」が「グローバルダイニング」グループのお店であることは、
震災数日後、インターネット調べて理解していました。
個人経営のお店ではないのです。
だから、例えば、あの日のお茶のサービスは、本部からの指令によって
行われていた可能性もあったわけです。
もしそうなら、お礼は会社に言うべきだと思いました。
でも、自由が丘店独自の判断なら、店長さんやスタッフに、まず
お礼を申し上げなければなりません。
だから、どうしても一度お店に足を運ばなければ
ならなかったのです。
その疑問が、昨日氷解しました。

真実を知り、グローバルダイニングという企業に対する
尊敬の気持ちがより強くなりました。
とても大きな外食グループ企業でありながら、
すばらしい発想と情熱を持った従業員が大勢いらっしゃいます。
人として正しく、そしてお店を愛しておられます。
自由な発想でお客さまの要望に応えられる人々です。
おそらく会社の雰囲気がそうなのでしょう。
そのことが、今回のことでよくわかりました。

私がモンスーンカフェを利用したのは、昨日がはじめてですが、
今後しばしば訪れようと思っています。
自由が丘店は活気のある明るいお店でした。
今度はエスニック好きの家族を連れてゆきます。

今回のことは、私のツイッターで友人たちにも発信しております。
是非多くの方々に、モンスーンカフェのすばらしさを
伝えてゆこうと思います。

震災と停電で、外食産業はすくなからず厳しい状況だと聞いております。
しかし、すばらしいスタッフの存在は、貴社の今後のますますの発展を
約束していると信じます。
またお店を訪れることを楽しみにしております。

ありがとうございました。

中西光雄


【返信】

中西 光雄様

突然のメールで申し訳ございません。
私、自由が丘モンスーンカフェ店長の三浦と申します。
中西様から頂いたメールを拝見し、胸が熱くなりました。
 
震災当日は、
日本中全ての人がきっと不安と悲しみに覆われたことと思います。
私たちに出来ることは、なんだろうとスタッフと話し合い、
暖かいお茶を用意したり、トイレや、電車待ちの場所を提供することにしました。
それが、こんな形で喜んで頂けるとは思っていなかったので、
本当に中西様のメールが嬉しかったです。
料理長の猶原もとても、とても喜んでいました。
アルバイトのスタッフにもこのことをお伝えさせて頂き、
お客様に元気を与えられる店に出来るよう精進致します。

本当に、嬉しいメールをお送り頂きありがとうございました。
桜は咲き始めましたが、まだまだ朝夜は寒いので体調崩さないようご自愛ください。

モンスーンカフェ自由が丘店 店長
三浦 花子

2010年9月25日 (土)

「粛々と」をめぐる随想

 菅総理大臣の記者会見は、質問への回答を含めて、官僚の作成した原稿の棒読み。漢字を読み間違えないように、極めて慎重に、自信なさげに。自分の言葉で話そ うという気迫がまったく感じられなかった。尖閣諸島問題で首相がイニシアチブをとったでもなく、「粛々と」と言う決まり文句が哀れでさえある。

 今回の尖閣諸島問題では、「粛々と」という言葉が、政治用語化している。これは、形容動詞「粛々たり」の連用形を副詞的に用いた表現である。形容動詞タリ活 用は中国語を直接的に日本語にローカライズするための言語的仕組みだが、この語が対中国問題に使われることの皮肉を政治家はきちんと知るべき。

        
 それにしても、副詞が政治用語化がすることの貧困さ!政治は結果責任なのだから、内実のある名詞か動詞で表すべきだ。しかも、日常ではほとんど使われない「粛々と」という語を恥ずかしげもなく話し、問題の本質を隠すのはのは、政治家としての死を意味していまいか?

 ちなみに、「粛々と」は、自民党政権下でもよく使われた言葉。その悪弊を見事に受け継いだという意味で、民主党政権も十二分に古くさいものである。前原外相など、僕よりずっと若いのに!

連続ツィッターとりまとめです。

2010年9月 5日 (日)

twitterをはじめることにしました

ご無沙汰しています!

この厳しい残暑は、ほんとうに身体にこたえますね。

このたびtwitterをはじめることにしました。

iPadを購入してから、メールを読むことに専念するようになり、

発信することが極端に少なくなっていました。

先月、夏期講習中の札幌のホテルで、

mac book air を椅子で押しつぶしてしまい、

液晶が見事に割れてしまったこともあって(泣)、

(マシンはきちんと動いていますが…)

ますます引っ込み思案になっていました。

ずぼらな僕に、twitterが続くのか、はなはだ自信がありませんが、

ともかくはじめてみようと思います。

@mitsuo1960

よろしくお願いします!





2010年7月 2日 (金)

再び札幌

札幌にいます。

ほんとうに忙しい一ヶ月でした。

毎週半ばに札幌に来ているので、そこで一週間のひとくぎりがついているようです。

札幌にはすでに11回来ていますが、授業のある木曜日はいつも雨。

10回が雨でした。

そんなわけで、僕はすっかり「雨男」として有名になりました。

最近、ウェザーニュース社が、会員に「雨男・雨女」の調査をしたのですが、

なんと三分の一が「雨男・雨女」だったそうです。

しかし、札幌がいつも雨とは‥解せません。

6月のはじめ、札幌のコンサートホールkitaraで、小曽根真さんとゲイリー‥バートンさんのライブを聴きました。

すばらしかった!

この間の日曜日には、横浜のランドマークホールで、圭三のライブを聴きました。

ひさしぶりに楽しかった!

僕は、次の日曜日に、川越で開かれる川越藩士の末裔の方々の親睦団体初雁温知会の総会で、

稲垣千穎について、短いお話をさせていただきます。

僕にとっては、光栄でうれしいことなので、頑張って、しかし楽しく、お話させていたこうと思っています。

一学期の授業も、ヤマを超えつつあります。

きちんと時間をつくって、研究をまとめたいと思っています。

コメントをくださった方々、ほんとうにありがとうございます。

またすぐに更新します!!

まもなく札幌を離れ、横浜に帰ります。

2010年5月29日 (土)

めまい一周年

 昨年の5月29日の夜、突然、強烈な回転性のめまいに襲われて立てなくなりました。あれからちょうど一年。正直に言うと、十分に身体の自由がきかない苦難の一年でした。

めまいは、命に関わる病気ではありませんが、原因も治療法もはっきりしていないらしいのです。

不定愁訴、はたまた男性の更年期障害…いろいろなお医者さんが、いろいろなことをおっしゃいます。マスコミでも、インターネット上でも、たくさんの情報が飛び交っています。

私も、めまい専門医を含む四人の医師の診断と治療を受け、毎週鍼灸治療にも通いましたが、症状は一時的に軽減されるものの、この一年間、めまいからひとときも解放されたことはありませんでした。

毎朝起きるたびに、今日もだめだ!と確認する日々。かなり精神的にもダメージを受けます。

いろいろな対処療法をやってみて、最後にあるお医者さんから言われた言葉は、「めまいに馴れましょう!」。よくあることなのだそうです。

ああ、ついにそう医者にそう言われてしまった…、あきらめというか絶望的な気持ちになったものでした。

4月の終わりに、札幌東和病院で診療をしておられる七戸満雄先生のもとを訪れました。めまいの治療で世界的に有名な方です。

はやくから、めまいの主因がヘルペスウイルスの感染から起こるという説を提唱され、抗ヘルペス製剤の投与によって、数千人の患者を治療されてきました。

ただし、この学説は、学会では認められておらず(あるいは意図的に無視され)、未だ健康保険適用でもありません。

私は、七戸先生の治療によってめまいから回復した知人からこの治療法を聞き、インターネットで情報を収集し書物も読んで、はやく伺って治療を受けてみたいと考えていましたが、なにしろ札幌まで出向かなければならないこと、そして日程があわないことなどが理由で、11ヶ月の時を過ごしてしまったわけです。

やっとのことでお目にかかった七戸先生は、理性的でありながら極めて情熱的で方で、ご自分の信ずる学説の根拠について、切々と語ってくださいました。めまいと同時に、医学界の偏狭さと闘ってきた戦士の風貌をもちながら、患者の思いを深く受け止めてくださったのです。

「あんたのめまいは必ず治るよ」

七戸先生に協力している耳鼻咽喉科の医師の診察を受けたあと、二週間分の薬をいただきました。自費診療なので、けっして安価な薬ではありませんが、これにかけてみようと私は思いました。

薬を飲み始めて、すぐにドラスティックな効果が現れたわけではありません。一進一退のようでもあり、なんだかより悪くなったと感じた日もありましたが、何かが自分の中で動いていることだけは確信できました。

一週間たったころ、電車に乗り遅れそうになって、ホームを走っている自分を見いだしました。この一年間、走ることはできませんでした。

さらに、ふとめまいのことを忘れている自分にも気づきました。いつも、ずっと、意識し続けなければならなかっためまいなのです。

今も100パーセント症状がとれたわけではありません。ですが、明らかに一月前よりよい、一年前に近い、自分がいます。

これがプラセボ効果であるわけがありません。

私は、七戸先生に心から感謝し、尊敬の気持ちを禁じ得ません。そして、七戸先生がおっしゃるとおり、この治療法が、全国の医療機関で行われるようになることを、祈らずにおられません。

七戸先生は、めまいはほとんどの人で再発するとおっしゃいました。それも、ちょうど一年後、二年後というタイミングで…。今年は薬を飲んでいるから大丈夫だろうけれど、来年以降、カレンダーに○をつけておいたらいい…でも、以前より軽い症状になっているはずだよとまで、アドバイスをくださいました。

うれしかったのは、この薬の服用によって、二十年来の持病「三叉神経大後頭神経症候群」にも改善傾向が見えていることです。二十代の後半から、週末になると目の奥が痛んで、寝込まなければならないほどでしたが、このところ、この症状がほとんど出ていません。七戸先生によると、これもヘルペスウイルスの神経感染による症状であると疑ってみるべきだそうです。

やっと、一年ぶりに明るい希望が見えてきました。

また私の回復、または後退についてご報告します。

2010年4月29日 (木)

札幌

新学期がはじまって二週間があっという間にたちました。

今年度から札幌に出講することになったので、昨夜から札幌にステイしています。

先週も、今週も、とても寒い! 

風がとても強い街だと感じました。

小曽根真さんの"Reborn"のライナーノーツを書かせていただくきっかけになった

塩谷哲さんとのコンサートは、この街のコンサートホールkitaraで行われたものでした。

あの熱い夜のことを今でも思いだします。

札幌は私にとって、ラッキーな街なのです。

今度は私が、生徒たちに幸福を届けねばと思います。

札幌の夜は、ひとりで過ごせる時間を与えてくれました。

だから、テレビっ子の私が、テレビをつけず、静かに過ごしました。

水曜の夜に札幌に来て、「水曜どうでしょう?」を見ないのは勇気がいります。(笑)

でもしばらくは、このようにしてみようと思っています。

今日は祝日ですが、朝から夜までしっかり授業です。

2008年5月 4日 (日)

教会へ

僕は、昨年のクリスマスに、受洗20周年を迎えた。

といっても、教会に毎週かよっていたのは最初の10年だけで、あとの10年は忙しさにかまけて、名ばかりのクリスチャンだったといえる。

僕自身クリスチャンホームに育ったわけではないし、僕の家庭もクリスチャンホームではない。妻はきちんとした信仰を持つ仏教徒なのである。

若き日の苦悩を解決するためにキリスト教に興味を持ったわけではない。むしろ、教師という職業を転職とするなら、キリスト者でなければならないと思い、洗礼を受けたのだが、信仰生活が身についていないものは、結局弱いと感じる。信仰は思想ではなく(もちろんその部分もあるが)、生活そのものだからである。

昨年の夏、あるきっかけから、また教会の礼拝に通うようになった。仕事の関係で、クリスマスとかイースターといった大きな行事にはいつも出席できないのだけれど、一月に一度は必ず教会を訪れることにしている。

代田教会の平野克己牧師は、彼が阿佐ヶ谷教会の伝道師の時代に、僕と一緒に教会学校の高校生のクラスを担当していた方である。クリスチャンホームの豊かな信仰の中で育ってきた彼は、僕の信仰上の問いかけに常に懇切丁寧に、愛情をもって答えてくれた。以来、友人となり、離ればなれになったからも、お互いの仕事を遠くから見つめてきた。

伝道師時代からとても豊かな力強い説教をしていた、その平野先生は、二十年後、ますますみずみずしい言葉で聖書を、神の愛を語られる牧師になっておられた。僕は、今日も平野先生の魂の奥底に届く説教に涙を禁じ得なかった。そして勇気が与えられた。

福音書の記述者のように真実の神を語る牧師。僕も歴史研究者として、福音書を書くように伝記・評伝が書けなければならないだろう。

そのいちばん大切なことを思い起こさせてくれるのが、教会の礼拝なのである。

日本基督教団代田教会

http://www5a.biglobe.ne.jp/~daita-c/

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