入試が近づき余裕がなくなってしまったのか参加者が非常に少
なかったのだが、大学のゼミナールのような雰囲気で戒能先生の講
義を親しく伺えたことは、私たち参加者にとっては夢のような体験
だった。
土曜日の関東大震災の報を受けて、賀川豊彦が神戸を出発したの
は、月曜日の朝のこと。日曜日に蔵書(多くは洋書)を売り払って
金をつくり、横浜から被災地に入った。その行動力にまず驚く。
戒能先生は、賀川その人の言動よりも、賀川を支えたボランティ
アの人々にフォーカスしてゆく。まず、賀川が神戸から連れて来た
三人の若者(木立義道、深田種嗣、薄葉信吾)の写真を指し示しな
がら、それぞれの性格となしえた仕事を丁寧に解き明かしてゆかれ
た。事務的能力に優れた木立は、慰問のふとんを被災者に配って寝
場所を与え、与えたふとんを担保にして金を貸し(質屋)、廃品回
収業(バタ屋)を始めることを奨励する。深田は宗教的な仕事を担
当してボランティア活動を精神的に支えて、後に著名な牧師となっ
た。(この人が、あのすばらしい説教をなさる深田未来生先生の父
上とは!)京都から復興景気で出稼ぎにやってきて、被災地の惨状
を見てボランティアとして働くことになって大工田中源太郎。家を
出て奉仕団に身を投じ、ボランティアたちの食事全般の面倒を見た
南京米のママさん。何の特殊能力を持たない青山学院の女学生菊池
千歳は、被災者の話をただただ聞いて(傾聴)勇気づけた。(この
人が佐竹昭先生の母上!)泥棒の前科があるにもかかわらず子ども
会をつくり幼児教育に没頭した東間清造もいた。戒能先生は、それ
ぞれの人物像を愛情を持って丁寧に描写しながら、これらの人々は
、関東大震災のボランティア活動をきっかけとして、生涯の道が開
かれたのだと雄弁に語られた。私も、このすばらしいメッセージを
多くの若者に届けたいと思う。
最後に賀川豊彦の天譴論批判に話が及んだ。大震災を人間世界の
腐敗と堕落に対する天からの報復とする「天譴論」は、ひとつの流
行思想で、それゆえに震災後の思想界、文学界を席巻した。それを
正面から批判したのはひとり賀川豊彦のみであったと、戒能先生は
指摘されたのである。最後に、賀川豊彦のことばを引いておこう。
「東京の罹災者に向つて『御前は罰当たりだよ』と手紙を出す暇が
あつたら先づヨブの患部に包帯をしてやる事だ。善悪の裁判は神の
職分である」(『苦難に対する態度』)
私は同僚の講師が企画した講演会に駆けつけたに過ぎないが、キ
リスト者として新たにされる経験であったことは間違いない。講演
をしていただいた戒能信生先生に心から感謝したい。たとえ参加す
る生徒が少なくても、このようなすぐれた知性との出会いの場を準
備することが、予備校河合塾のアイデンティティだと信じている。
なにがあっても継続してゆきたいと改めて思ったことだった。
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