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2015年10月 1日 (木)

唱歌歌詞解説 吉丸一昌作詞「故郷を離るる歌」 

唱歌解説

 

「故郷を離るる歌」

 

吉丸一昌 作詞 ドイツ民謡

『新作唱歌 第五集』1913(大正2)年7


園の小百合 なでしこ 垣根の千草    
今日は汝を眺むる 最終の日なり       
おもえば涙 膝を浸す さらば故郷      
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば  

 

【通釈】

庭の小百合よ、なでしこよ、垣根の千草よ

今日はおまえを眺める 最後の一日である

考えているうちに涙が 膝を浸してゆく 故郷よさようなら

さようなら故郷 さようなら故郷 故郷よさようなら

 

【語釈】

*「園」樹木・花・野菜などを植えた庭園のこと。後に「垣根の千草」とあることから、広い庭園などではなく、自宅の小庭のことであろう。

*「小百合」夏の花。「なでしこ」秋の花(秋の七草)。「千草」さまざまな種類の草。秋の季語である。この三種の景物から、この歌が晩夏から初秋の季節を歌った歌であることがわかる。

*作詞者の吉丸一昌は現在の大分県臼杵市の出身で、大分中学校(旧制)から熊本の第五高等学校(旧制)を経て東京帝国大学へ進学した。小学校と中学校(旧制)は、すでに1892(明治25)年から学年暦が四月開始になっていたが、高等学校(旧制)が四月開始になったのは、1917(大正7)年の第二次高等学校令の公布によってで、実施は1918(大正8)年春のことである。また、東京帝国大学の学年暦が四月開始になったのは、1921(大正10)年春のことであり、いずれにしても吉丸が故郷を離れたのは晩夏から初秋のころであったと推定される。つまり吉丸の実体験としても、この歌が発表された1913(大正2)年においても、高等教育機関は九月始業であったのである。このように、唱歌の歌詞には、固有の地名や地域特有の地形や風景が取り込まれることはないものの、すでに失われてしまった制度的残滓(例えば学校・学年暦)は刻印されていることに注意したい。

*「汝(なれ)」主に奈良時代の『万葉集』などで用いられた対称の代名詞。対等の相手や目下の者、さらに動物などに対して呼びかける語。ここでは「故郷」を擬人化し、友人のように「おまえ」と親しく呼びかける。吉丸は「早春賦」でも「谷の鶯」を擬人化しているが、これらは、旧来の和歌にはない吉丸独自の表現といってよい。

*「眺むる」マ行下二段活用動詞「眺む」の連体形。現代語では「眺める」となる。

*「なり」断定の助動詞「なり」の終止形。ここで「である」と言い切ることで、硬質なイメージを与えている。

*「おもえば涙 膝を浸す」この表現から、作者は小庭に正対して座っていることがわかる。極めて静かな故郷との別れの場面である。和歌では伝統的に「涙」は「袖・袂」を濡らすものと表現されてきた。ここで「膝を浸す」という表現は、そうした和歌的クリシェの埒外の表現であるといえる。

*「さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば」一連の終わりに、この「7・7・7」のフレーズを二回繰り返す。「さらば故郷 3+4」を二度繰り返した後、語を逆にして「故郷さらば 4+3」と折り返すことで、リズムに変化と緊張感とを与え、この歌をより魅力的にしている。

 


土筆摘みし 岡辺よ 社の森よ
小鮒釣りし 小川よ 柳の土手よ
別るる我を哀れと見よ さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば


【通釈】

土筆を摘んだ 丘のほとりよ 神社の森よ

小鮒を釣った 小川よ 柳並木の土手よ

故郷を別れる私を哀れと思ってくれ さようなら故郷よ

さようなら故郷 さようなら故郷 故郷よさようなら

 

【語釈】

*「土筆摘みし」「小鮒釣りし」「し」は過去(回想)の助動詞「き」の連体形。この助動詞の存在によって、二番は、歌い手が自らの幼少期に直接経験したことをなつかしく回想していることを示している。別れの年の春のことを指すのではなく、あくまでも幼少期の記憶と考えておきたい。

*「土筆」スギナの胞子茎。食用ともする。春を代表する景物。

*「小鮒釣りし」この歌と同時期に作成されていた高野辰之の「故郷(ふるさと)」と共通のフレーズ。高野の「故郷」は、『新作唱歌 第五集』の出版された翌年1914(大正3)年に『尋常小学唱歌 第六学年用』の一曲として発表された。吉丸は、『尋常小学唱歌』の作詞の責任者として高野と協働しており、二人の作詞者の間に「故郷」の共通のイメージがあったとしても、なんら不思議はない。吉丸の「故郷を離るる歌」と高野の「故郷」が同時期に発表されたことが、近代日本における「故郷」観の創出の表象であったことに思いをいたしたい。

*「柳」柳の木。春を代表する景物。

*「別るる」…ラ行下二段活用動詞「別る」の連体形。現代語では「別れる」となる。

*「別るる我を哀れと見よ」故郷を出て行く自分自身を「哀れ」と蔑んでくれと「故郷」に懇願することで、故郷への深い愛惜とを示している。吉丸の経歴からいえば、故郷を離れることは進学のため、ひいては立身出世のためであったが、この歌では立身出世主義に一言も触れていないのが特徴でる。またその点で、高野の「故郷」と好対照をなしている。

 


ここに立ちてさらばと別れを告げん
山の影の故郷 静かに眠れ
夕日は落ちて黄昏たり さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば

 

【通釈】

ここに立ってさようならと別れを告げよう

山の陰にある故郷よ 静かに眠っておくれ

夕日は落ちて黄昏れの時を迎えている さようなら故郷よ

さようなら故郷 さようなら故郷 故郷よさようなら

 

【語釈】

*「ここに立ちて」一番の自宅の庭、二番の幼少期の回想を経て、三番で歌い手は故郷を広く俯瞰できる場所に移動したのである。一番では座っていたが、三番では立っており、いよいよ別れの時が来たことを告知する。

*「別れを告げん」「ん」は意志の助動詞「む(ん)」の終止形。「別れを告げよう」の意。

*「山の影の故郷」唱歌はあくまでも特定の地域や地形を描写するものではないが、この表現は具体的な地形を彷彿とさせる。ちなみに、吉丸の故郷の臼杵は、山と海に囲まれた風光明媚な小都市である。

*「静かに眠れ」故郷の安寧であることを祈りつつ、眠る故郷とは対照的に、眠ることなく都会へと旅立つ自らの心情を吐露している。故郷を友人として語りかけるがゆえの哀切な表現ともいえる。

*「夕日は落ちて黄昏たり」「たり」は存続・完了の助動詞「たり」の終止形。「黄昏れている」と、夕暮れの美しい時間の継続を表現している。一番の「なり」同様、「たり」と文を終止することで、硬質で古風な印象をこの歌に与えていよう。歌い手は夜汽車にでも乗って故郷を離れるのであろうか。


この歌の音数律

6   4   7

6   4   7

7   6   7

7   7   7(3+4 3+4 4+3)

動画による解説はこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=m1XKL0chsOM 

 

 

 

 

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コメント

吉丸先生と夢幻問答をしている崎山と申します。《故郷を離るる歌》は先妻ゆきさんとまだ見ぬ子への鎮魂歌です。故郷を擬人化したわけではありません。進学で上京するくらいのことで膝を浸す涙が出るわけがありません。吉丸先生は明治44年正月に単身帰郷し、故郷臼杵との別れを歌にしたのです。そのとき読んだ短歌もあります。「むかし見しかの初恋の初日の出いまなき人のおくつきにさす」。http://blogs.yahoo.co.jp/kotoyo_sakiyama/63016205.htmlも参照してください。

崎山言世さま このたびは丁寧なコメントとご指摘ありがとうございました。私も、森まゆみさんの『明治東京畸人伝』に所収の「吉丸一昌の動坂町三百五十七番地」の吉田稔さんのお話から、この歌が、吉丸先生の奥さまに対する鎮魂歌であることは承知しておりまして、崎山さまのご指摘やHPの記述から、そのことを確信いたしました。私はそのことを否定するつもりは毛頭ないのです。私が今しております仕事は、文語の唱歌の歌詞を、きちんと注釈をつけて、正確に解釈することです。和歌のように詞書きがつかない唱歌の歌詞は、まずそれ自体独立した表現として見るべきで、歌詞から読み取れる範囲で、表現論的な評価をしたいわけでございます。私は、この歌の「汝」を、説明なく奥さまやお子さまと解釈することは、できないのではないかと思います。その点ご引用の和歌とは違います。なるほど、「進学で上京するくらいのことで膝を浸す涙が出るわけ」はないのですが、「故郷を離るる歌」と題された歌である以上、「汝」は「故郷」のことで擬人化された表現だと私は思っております。その上でなお、ここで表現された「故郷」とは、吉丸先生の故郷臼杵のことであり、無くされた奥さま、お子さまのことだと解釈してはいけないでしょうか。私自身も、一方で歌詞だけを客観的に評価したいと申しながら、吉丸先生の上級学校進学の個人的な経験として説明しすぎてしまったように思います。この点どうぞお許しください。いずれにせよ、私の本意としましては、吉丸先生は、自己の経験を対象化・客観化したうえで、多くの人が歌う唱歌として発表されたのであり、それゆえ、歌う人がそれぞれの経験を重ね合わせて愛唱されたと思っております。私の立場をご理解いただけましたら幸甚です。今後も、崎山さまのご研究と照らし合わせ、対話ができますことを楽しみにしております。重ねて感謝申し上げます。

以前は「早春賦」と「朧月夜」の二つが大好きでした。それは変わりません。しかし今は少しずつ、『故郷を離るる歌」がより好きになっています。下手なりに歌って、難しい歌ではありますが、うたっていてどうしてか気持ちがいいのです。生まれたときから今までず—っとここにいて、ただ一度4年間離れてまた戻って来た。離れたからこそ18年住んだ「故郷」の良さを分かったように思いました。作歌者は故郷を思う故にこの詩を書いた。そしてその反語として唱歌「故郷」を書いたのではないかとも思うようになっています。この二つの詩は同じ線の上に、同じ想いの上にあるものではないかと思えます。

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