小曽根真 東京文化会館 プラチナ・ソワレ 第5夜「ザ・ジャズ・ナイト」 レポート
小曽根真
東京文化会館 プラチナ・ソワレ 第5夜「ザ・ジャズ・ナイト」
2013年3月8日(金)19:00 東京文化会館小ホール
Ⅰ部
01 Inprovisation1 即興曲1
02 Inprovisation2 即興曲2
03 Inprovisation3 即興曲3
04 Inprovisation4 即興曲4
05 Ital Park イタルパーク (新曲)
06 Dancing At The B.P.C. ダンシング・アット・ザ・B.P.C. (新曲)
*B.P.C. The Berklee Performance Center
Ⅱ部
01 Cubano Chant クバノチャント
02 My Witch’s Blue マイ・ウイッチズ・ブルー
03 Before I Was Born ビフォー・アイ・ワズ・ボーン
04 Emily エミリー
05 Wild Goose Chase ワイルド・グース・チェイス
アンコール
Do You Know What It Means To Miss New Orleans
ドゥ・ユー・ノウ・ホワット・イット・ミーンズ・トゥ・ミス・ニューオーリンズ
客席うしろのドアから現れたピアニストは、通路側の聴衆に「こんばんは」と声をかけながらステージに上がり、この東京文化会館のハウスピアノであるYAMAHA CFXの前に座った。腕時計をはずしてピアノの上に置くという、いつもの小さな儀式のあと、美しいファーストノートが宙に舞う。プログラムがあらかじめ発表されていない今夜のコンサートは、いわばコンサート全体が即興作品だが、小曽根はそれを4曲の即興組曲ではじめたのだった。本格的な春の訪れを感じさせるこの日にふさわしい、明るさに満ちた第1曲は、小曽根の初期の作品のみずみずしい才能を直接的に受け継ぎながら、それを豊かにリファインしたもので、ピアニスト・作曲家としての自らの来歴に挨拶をすることで、このコンサートを始めようとする小曽根の意志を感じることができた。第2曲・第3曲と、クラシカルな語法に基づいた重厚で思索的なソナタが続いたあと、一転して第4曲では、ジャズミュージックの王道に立ち帰りピアノを底抜けに明るく歌わせる。組曲によって物語を紡ぐという構成法はクラシック音楽の影響を強く受けているともいえるが、優れたクラシック音楽家との共演や作曲を通じて、物語の技法を自家薬籠中のものとした小曽根にとって、この即興での発露は極めて自然なことであったに違いない。こうしてわたしたち聴衆は、小曽根真の「今」に出会った。
小曽根は、このコンサートの後渡米し、「かけがえのない先生」ゲイリー・バートンとのレコーディングに臨む。この夜、そのために書かれた新曲が2曲披露された。1曲目は「イタルパーク Ital Park」というタンゴ。ゲイリーのバンドに加わった若き日の小曽根は、クリスマスイブをアルゼンチンのブエノスアイレスのクラブで迎えた。そこで、ビアソラのバンドと共演し、タンゴのすばらしさに圧倒され、強く影響されることになったのだという。イタルパークは、ブエノスアイレスにあった遊園地の名前であるが、その遊園地のイメージを曲にしたもの。小曽根の音楽の核のひとつであるラテン音楽へのデディケーションを示す一曲といってよい。もう1曲は「ダンシング・アット・ザ・B.P.C. Dancing At The B.P.C.」。 B.P.C.とは、 The Berklee Performance Centerのことで、小曽根とゲイリーが出会ったバークリー音楽大学に附属するコンサートホールの名前である。もちろん、この一曲は、恩師ゲイリー・バートンへのすばらしいオマージュ。小曽根のピアノソロでの演奏は、もちろんすばらしいものであったが、アルバムのリリースと、それをひっさげてのコンサートツアーが、今から待ち遠しくてならない。小曽根真の「近未来」に出会った。
第Ⅱ部は、レイ・ブライアントの「クバノチャント Cubano Chant」から始まる。小曽根が12歳のとき、「おじ」から譲られたチケットでオスカー・ピーターソンのコンサートに行き、その第1曲として演奏されたこの曲を聴いて、すばらしさに涙が止まらなかったという楽曲である。すでに天才ハモンドオルガン奏者であった小曽根少年が、「一台のピアノでこんなにスイングできるんだ!」と思わなかったら、ピアニスト小曽根真は誕生していなかったわけで、わたしたちファンにとってもかけがえのない一曲なのである。第2曲は「マイ・ウイッチズ・ブルー My Witch’s Blue」。わたし自身が小曽根に出会った頃の「ヴィエンヴェニドス・アル・ムンド Bienvenidos al Mundo 」がそうであったように、この曲は「今」の小曽根真を象徴するテーマ曲であり、ほぼすべてのコンサートで演奏されている。いわば小曽根の体温計と言ってよい。共演者との関係、ホールとの相性、気温、湿度、天候、そして聴衆との距離感によって、毎回異なるアレンジと演奏で、この日この時だけの小曽根真が提示される。もちろん東京文化会館小ホールのインティメイトな空間を象徴するようなすばらしい演奏であった。第3曲は、1995年のアルバム「Nature Boys」からの美しい「ビフォー・アイ・ワズ・ボーン Before I Was Born」。この曲はソロコンサートでしか聴けない美しく繊細なスローバラードである。宙を見つめ、ピアニストと聴衆の肉体を浄化してゆくように歌われるこの曲のメロディが、今もわたしの耳の中で鳴り続けている。
第4曲は「エミリー Emily」。「エリス・マルサリスに教えてもらうまで、きちんと知らなかったこの曲が、今どうしてこんなに近く感じられるのだろう?」と小曽根は語る。先日のエリスとのデュオコンサートでももちろん演奏されたこの曲を今夜はソロで…。エリスへのレスペクトと愛、そしてエリスを通じて感じとったジャズミュージックの歴史への献身、今まさにジャズミュージックへ原点回帰しながら、あらたな音楽創造の場へ立とうとする小曽根の思いと決意とが、ひとつの楽曲に結実したあまりにも美しくせつない演奏に、わたしは涙を禁じ得なかった。第Ⅱ部の最終曲(第5曲)は、「ワイルド・グース・チェイス Wild Goose Chase」。1994年のアルバム「BREAKOUT」からの楽曲である。「この曲は、最近YAMAHAから出版された楽譜集に採譜されて入ってるんですけど、その楽譜見ても僕はとても弾けません」と言って聴衆を笑わせる小曽根であるが、それはただの軽口だと直ちに証明してしまう。早弾きでかつメロディアスなこの曲を、小曽根は一息で駆け抜けて見せた。ホール全体が熱狂したのは言うまでもない。万雷のオベーションが続いたのである。アンコールは、「ドゥ・ユー・ノウ・ホワット・イット・ミーンズ・トゥ・ミス・ニューオーリンズ Do You Know What It Means To Miss New Orleans」。「父から教えられていたこの曲を知っていたことで、アメリカに行って、どれほど多くのミュージシャンと心を交わしあい、ともにセッションが出来たかわからない」と小曽根は言う。もとろんエリスともそうだった。「Pure Pleasure for The Piano」にも収録されているし、先日のデュオコンサートの際も演奏されていたこの曲を今夜はソロで。約二時間のコンサートを締めくくるに最もふさわしい音楽と人への愛に満ちた選曲であった。この曲に表現されたジャズミュージックのスピリットをひとりでも多くの人に知ってもらいたいという小曽根の願いと祈りが、わたしたち聴衆の心を直接強く打ったのでもあろう。わたしたちは去りがたい思いを強く残しながら、コンサートホールを後にしたのである。
ジャズミュージックの歴史、クラシック音楽との融合、尊敬するミュージシャンとの出会いと影響、そうしたさまざまな異なる時間の軸が、ひとりの音楽家小曽根真の中で交錯し、咀嚼され、再構成されてゆく。優れた音楽家は、このようにして生まれ育まれ、気づき感じとり苦悩しながら、音楽の中で生きてゆくという凄まじい「いきざま」を、わたしはこのコンサートで見ることができた。音楽家にとって、回顧するほどの経験と歴史を持つことは悪いことではない。むしろ前を向いて走り出すためのブースターである。小曽根真は、音楽の前では今でも少年のように純粋であり、やんちゃな部分を持っているから、「円熟」などという言葉ではとうてい表せないが、それでもわたしは十数年来のファンとして、これからの小曽根が一番いいぞ!という確信めいたものがある。世界の音楽シーンの中で小曽根の立ち位置は独特で、小曽根のパースペティヴからしか見えないもの、伝えられないものが、あまりにもたくさんあるからだ。楽曲を創作し演奏するだけでなく、それを下の世代に伝えてゆく責任もある。そして、小曽根はもう実際にそういうチャレンジをし続けているのである。同時代を生きる者として、その現場に立ち会えるこれほどうれしいことはない。どうかひとりでも多くの方々にコンサートホールに足を運んでいただきたい。小曽根真の音楽に直接触れ、できたら小曽根真と言葉を交わしていただきたい。きっと人生が豊かになるはずだから…。(了)
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