エンリッチ講座 東浩紀さん「人間と動物とのあいだで引き裂かれる『人間』」のご報告
中西の総括的報告(フェイスブック)
昨日の東浩紀(@hazuma)さんの講義(河合塾エンリッチ講座)はすばらしいものでした。
聴衆の大半は河合塾の大学受験科生(浪人生)でしたが、グリーン生(現役生)もちらほら。職員・講師の他、東大の院生、社会人の方などの多彩な聴衆に、東さんは真摯に対峙し、自らの思考を雄弁に語ってくださいました。
まずは受験エリートであった自身の来歴(河合塾との関わりを含めて)と東大入学前のオリエンテーション合宿で感じた大きな失望(受験ってゲームでしかないんだ!)とそれによってもたらされた転機。なぜ文Ⅰに入ったのに、法学部にすすまず教養学部にすすみ思想・哲学の研究に向かったか。などなど、大学受験を控えた生徒に向けて、丁寧な導入をしてくださいました。
東さんの研究の出発点であるデリダの紹介に入ってからは、明晰な哲学的分析が展開され、ラカンを対置することでデリダ理解が深まることを前提に、西洋哲学では人間と物(魂の有無によって区別される)だけを対象とし、中間的な存在である「動物」が扱われてこなかったことを指摘。人間はいつも精神の明晰さを保っているわけではなく、ふだんはぼんやりしており、それはまさに「動物」に近い存在であるが、西洋哲学ではそれを意図的に扱ってこなかったことを明らかにされました。東さん自身は、今後社会思想が「動物」を扱わなければ、グローバル化した消費社会の分析と理論化はできず、自身がそれをやってゆきたいということを明言されたわけです。「動物」は不完全な人間という意味で「こども」に通じており、さらに社会的弱者の問題にも展開するはずだという目論見も示されたわけです。ハイデガー・ヘーゲル・コジェイヴ・ラカンなどを俎上にあげての講義でしたが、東さんの丁寧な説明で、聴衆も思考に誘われていったのでした。
(私のとった講義ノートはTwitter(@mitsuo1960)で発信しています。不十分きわまりないものですがご参照ください。)
講義後の質問は、約1時間続きました。受験勉強に身が入らないという具体的な悩み相談、東さんは生まれ変わったらもう一度東大に行きますかという問いかけ、東さんの今後の研究の方向性、村上春樹、「おおかみこどもの雨と雪」と日本のアニメーション、「動物化」論の教育学への展開について、などなどたくさんの質問が飛び交いました。そろそろ最後に…と私が行った瞬間、5人が挙手し、しかし東さんはそれにひとつひとつ丁寧に応えてくださいました。思想家が真剣に思考し言葉を紡ぎ出す現場を目の当たりにすることは、聴衆である生徒たちにとってどれほどの僥倖であったかと思います。さらに東さんは、この質問の中で、今まで公にしてこなかった、社会思想の本質を「べき乗分布」と「正規分布」の二極線の相克と調和で理解し、暗い現在情勢と将来展望の中で、一筋の希望を示すという話をしてくださいました。これは今後本にまとめられるそうです。(こちらは東さんがご自身のTwitter(
@hazuma)でまとめ、公にしていらっしゃいます。私もリツイートしましたからご参照ください。)東さんは、河合塾に到着時に「河合塾なう。聴衆は浪人生がおもだということ。新しい! なんかわくわくするな。この講演はw 」とツイート。さらに帰宅後、「今日の河合塾講義は新鮮でした。質問で「現国伸び悩んでいるけどどうすればいいですか」とかあったり。(ぼくの答えは「消去法で選択肢を選べ」w) 某誌より「バブルを知らない世代」としての対談依頼が来た。先日プレイボーイでは「U-40」の取材も受けた。なんか誤解がありそうなのであらためて強調 しておくけど、ぼくは1971年生まれの41歳、バブル期は高校生〜大学生で、みなさんが思うほど若くないですぜ!! いまやもう圧倒的ロートル感ですよ。 小学生女子を見ても、萌え〜とかではなく、娘の同級生としてしか見られなくなってしまった終わった年齢ですよ。 若くなりたい……もういちど……若くなって……アキバ行くんだ…… 1998年から2001年にかけて、ポスドクで学振もらって無職ながら快調に生活していたとき(学振は意外と給料いいのです)、ぼくは延々とミステリ読ん でゲームやってた。その成果は動ポモに活かされているので無駄ではなかったのだけど、あんな夏休みみたいな時間をもういちど過ごしたい。 昼夜逆転するの関係なく、1週間ぶっとおしでゲームとかやりたいなー。あの頃は平気で、アドベンチャーゲームの一画面突破するのに3時間とかかけてた (行き詰まっても攻略サイト見なかった)。夫婦でやってたし、めっちゃ楽しかった。 でも、このあいだ妻と話したのだけど、かりにいま暇ができてもたぶんあの頃には戻れない。時間が貴重であることを知ってしまったから。一晩時間があるな ら、いまは妻もぼくも別のことに時間を使う。若いというのは、時間の貴重さを知らないということ。それが眩しくてしかたないよ、いまのぼくは。 とか後ろ向きのことを書いているのは、今日、20年ぶりに河合塾横浜校を訪れたからだと思います。なにもかも懐かしい。」とツイートしてくださっています。東さんにこうした思いを記していただけたことを、司会としてよろこばしくまた誇りに思っています。是非来年以降も河合塾での講義をお願いしたいと念願しています。実は東さんと私が出会ったのは、出口汪先生のパーティでのことでした。このことは、東さんの紹介のときに生徒たちにも言ったのですが、ソーシャルネットワークのいわば明るさの部分で、出口先生、東さんとの出会いがあり、今回の講義が実現したことは明記しておきたいと思います。もちろんSNSには負の部分も多いのだけれど、すでにこれは私たちの社会にとっての与件で、無視することはできない。現にこの文章もSNS上で公開されるのです。だからこそこの時代の社会思想を形成する必要があるのです。東さんのお仕事は常に現在の分析から未来を指向しており、今回その一端に触れられたことは、私にとっても、多くの聴衆にとってもきわめて貴重な経験でした。講義に来て下さった東浩紀さんに改めて感謝申しあげます。そして出会いのきっかけとなった出口汪先生にも。ありがとうございました。
Twitterのまとめ 東さん&中西
東浩紀(おおかみこども絶賛中) @hazuma (東さんのツイート)
河合塾なう。聴衆は浪人生がおもだということ。新しい!
なんかわくわくするな。この講演はw
中西 光雄 @mitsuo1960 (中西による講義中の連続ツイート)
東浩紀さんの講演がはじまりました。まずは、東さんの受験生活の話から。
東大入学時の違和感。 東大入学前のオリエンテーション合宿が折り返し点。受験はゲームだった。自分のやりたいことを考えたことはなかった。
受験エリートからのドロップアウト、哲学・思想に向かう。ただそれは難しいことを簡単に説明するという受験産業的な欲望に裏打ちされていた。しかしそれは大学では通用しなかった。
デリダを理解するには対抗者ラカンとの比較が有効だと気づく。ヨーロッパ思想では魂の有無によって世界を分けてきた。人間と物。では、動物はどうなるのか?
ハイデガーのDasein(現存在)。人間は世界を形成できる。魂がある。石は無世界的。魂がはない。では動物はどうなるのか。動物は世界貧困的。ハイデガーの区別のは論理の区別で神学的にうつくしい。だが動物はこの議論に入らない。
ハイデガーは西洋哲学の象徴。動物排除、子供排除、障がい者排除、機械的知性の排除につながる。極めて図式的だが。大学では評判が悪かった。
コジェイヴ「ヘーゲル精神現象学読解」。ヘーゲルが哲学が難しくなった原因。神秘主義が入っているからだ。ヘーゲルが「世界史」を作った。ヘーゲルは世界 史の終わりをかんがえた。ヘーゲルはナポレオン、コジェイヴは第二次世界大戦で終わり。歴史の終わりは人間の終わりでもある。
コジェイヴは二つの道を示す。アメリカ化と日本化。日本化はスノビズム、形式化。アメリカ化は動物化。ニーズが即刻満たされる。単なる欲求従属。消費社会の暴走。ヨーロッパの哲学が動物を扱えない。社会思想、政治思想は消費者、消費社会を扱えない。
ヨーロッパ思想は人間に強い規定しかしていない。主体的な意識のある人間像しか扱わない。しかし、頭ぼんやりな人間を扱わないと、世の中はよくならない。頭ぼんやりとした人間は動物化。
こどもの問題はラカンは無視。教育のことをどう考えるかを問題化したい。自己決定をどうかんがえるか。消費社会論では人間になりきっていない人間=子どもをどう扱うのか。考えてゆきたい。
東浩紀(おおかみこども絶賛中) @hazuma (東さんの連続ツイート)
酒飲んで電車で帰るの久しぶりー
今日の河合塾講義は新鮮でした。質問で「現国伸び悩んでいるけどどうすればいいですか」とかあったり。(ぼくの答えは「消去法で選択肢を選べ」w)
そして明日は、某日吉で朝から講義かー
某誌より「バブルを知らない世代」としての対談依頼が来た。先日プレイボーイでは「U-40」の取材も受けた。なんか誤解がありそうなのであらためて強調 しておくけど、ぼくは1971年生まれの41歳、バブル期は高校生〜大学生で、みなさんが思うほど若くないですぜ!!
いまやもう圧倒的ロートル感ですよ。
小学生女子を見ても、萌え〜とかではなく、娘の同級生としてしか見られなくなってしまった終わった年齢ですよ。
若くなりたい……もういちど……若くなって……アキバ行くんだ……
1998年から2001年にかけて、ポスドクで学振もらって無職ながら快調に生活していたとき(学振は意外と給料いいのです)、ぼくは延々とミステリ読ん でゲームやってた。その成果は動ポモに活かされているので無駄ではなかったのだけど、あんな夏休みみたいな時間をもういちど過ごしたい。
昼夜逆転するの関係なく、1週間ぶっとおしでゲームとかやりたいなー。。あの頃は平気で、アドベンチャーゲームの一画面突破するのに3時間とかかけてた (行き詰まっても攻略サイト見なかった)。夫婦でやってたし、めっちゃ楽しかった。
でも、このあいだ妻と話したのだけど、かりにいま暇ができてもたぶんあの頃には戻れない。時間が貴重であることを知ってしまったから。一晩時間があるな
ら、いまは妻もぼくも別のことに時間を使う。若いというのは、時間の貴重さを知らないということ。それが眩しくてしかたないよ、いまのぼくは。
とか後ろ向きのことを書いているのは、今日、20年ぶりに河合塾横浜校を訪れたからだと思います。なにもかも懐かしい。。
東浩紀(おおかみこども絶賛中) @hazuma (東さんの連続ツイート)
そういえば今日の河合塾講義ではじめて公に話したのだけど。
ぼくは実は社会思想の本質は「べき乗分布」と「正規分布」の二極線で理解できるのではないかと思っていて、いつかそれで本書こうと思っている。人間は身体
的には正規分布。身体能力が100倍高いとかありえない。けど記号操作を介すると資産や影響力はべき乗分布する。影響力100倍とか普通。
人間社会はその二原理をどう調停するかで作られている。共産主義はぜんぶ正規分布にしたいと思っていた。逆に新自由主義はすべてべき乗分布にするのが合理
的だと考えている。でも本当は人間はその両者の調停で社会作っていくしかない。
たとえば、倫理学でいうカント主義は正規分布の倫理、功利主義はべき乗分布の倫理とか、整理できると思うんだよね。
とかいう感じで「だれでもわかる哲学」的なものを考えているんだけど、この二曲線のアイデア、あとでパクられると嫌なので、ここで今日そういうことを言ったよーというのを公知の事実にしておきます。ほら、ぼくって心狭いからさ。。
人間は平等ではない。でも平等を求めてしまうのは、要は人間の身体がみなだいたい同じ大きさだからにほかならない。裏返せば、人間の身体がみなだいたい同
じ大きさということこそ、カント主義とかマルクス主義とかの平等の理念の根拠なのだと思う。みな、このことを過小評価している。
これって超わかりやすい話でもあって、たとえば、男女の仲って階級超えるじゃん。それはどういうことかというと、べき乗分布で秩序化されている世界(所得
格差)に、正規分布の世界(結局男と女でしょ)が入り込んでいるという話だと思うんだよね。裸になると資産関係なしっていうか。
いくら資産の格差があっても(そしてこれからそれがどれだけ強くなっても)、人間はおたがいが同じような身体をもっているというかぎりにおいて、絶対に平等の理念を失わないでいられる。ぼくはこれこそが希望だと思うんだな。
左翼的な議論がだめなのは、べき乗分布を消し去れると思っていること。べき乗分布は、正規分布と同じくらい「自然」な原理であって、格差社会は絶対に解消 できない。格差の再生産は資本主義の原理そのもの。しかしそれはすべてがべき乗になるべきだということも意味しない。
べき乗分布の世界と正規分布の世界をどう腑分けし、繋げていくかが、21世紀の思想の課題だと思うんだ。
というわけで、ぼくは今後リアルの可能性は正規分布にこそあると思っている。資産が1万倍だろうと、フォロワーの数が1万倍だろうと、リアルに会うと身体 の大きさは(そして身体的能力も知的能力も)大して変わらない。ここにこそ平等の理念の根拠があるし、またリアルに会うことの意味もあると思う。
ネットは記号操作の世界だから、どうしてもべき乗分布になる(スケールフリーになる)。強い奴はどんどん強くなる。でも、100万フォロワーのひとでも、 オフ会で摑まれば100フォロワーのひとの話を聞かざるを得ない。この単純な事実に、人類の希望があるんだと真剣に思ってる。
とかいうかんじ。そのうち、ちゃんと本にします。きっとこれは、ぼくの哲学の中心の問題なので。
ではおやすみ〜
Twitter上での反応
東先生@hazumaへの中西先生@mitsuo1960のツイートを読んでいると、従来の哲学というのがいかに窮屈なものだったか、が伺える。確かに各時代の選りすぐりの賢い人間が哲学を担って来たのだろうし、参考にしなければいけないとは思うが、やはりあまりに窮屈だ。強烈な印象
"@mminami1: @hazuma 現役生が僕だけで驚きましたが、実は予習していったので内容はバッチリでした!!"受験もがんばれー
まさにそういう話です。RT @herobridge なるほど。確かに金持ちが身長5mあったら打ちのめされるな。でも人間は多かれ少なかれ似たような姿形だ。そこの部分で格差を乗り越えられるって事か。
最近のコメント