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2012年9月22日 (土)

小曽根真トリオ ライブレポート 2012.9.19

 これはいつか見た光景だったのだろうか…、強烈な既視感にドライブされながら、僕は席を立ち、ステージ上で肩をしっかりと組んだ音楽家たちに惜しみない拍手をおくっていた。

 

 しかしそれはむしろ、はじめて見る光景だった。小曽根真、クリスチャン・マクブライド、ジェフ“ティン”ワッツ、この類いまれなる才能に恵まれた三人の音楽家によるジャズトリオは、はじめてのジャパンツアーを、ここブルーノート東京で打ち上げ、聴衆からスタンディングオベーションを受けていた。鳴り止まない拍手と歓声は、三人の疾走するインタープレイから産み出された極上の音楽への尊敬と感謝の念を表現したものであり、音楽家と聴衆とが抱擁するように対峙するジャズクラブでの、したたるような幸福な瞬間なのだった。オーセンティックなジャズトリオの形式と語法は、この夜、この三人のアンサンブルによって鍛えられ、新たなものとされたのだが、その創造の現場に立ち会うことができた僕たちの幸福感は、とうてい一言では表しえないものである。

 

 ジェフ“ティン”ワッツの大きな肉体は、演奏中微動だにしない。彼は自らの手元を思いやることさえなく、聴衆の先にある虚空をじっとみつめながら、力強いドラミングを続けるのである。その半眼で思惟する穏やかな形相は修行僧のようでもあるが、彼の身体を取り囲むようにタイトに配置されたドラムセットから繰り出される正確なリズムは、それが完全に彼の肉体の一部でありことを確信させた。パワープレーの局面を迎えても、彼の肩が静かなフォルムを維持しているのは、彼が腕の重みだけでスティックを最も適切な場所に落としているからで、叩くのではなくドラム自身に歌わせているからである。一音一音を粒立って聞かせる彼の絶妙なスティックコントロールは、この新しいトリオの心臓として、僕たちの聴衆の呼吸とトリオのそれとを完全に一致させてくれたのである。

 

 この夜のクリスチャン・マクブライドは、その天才的なピチカート奏法に加えてアルコ奏法の魅力をあますとことなく伝えてくれた。若き日にクラシック音楽を学び、弦楽アンサンブルの経験があるという彼のアルコ奏法には定評があるが、前日のファーストセットでは用いなかったこの奏法を自在に用い、音楽に深い陰影をつけることに成功した。特に驚いたのはMy Witch's Blueで、小曽根のピアノの東欧風の主題の提示に対して、アルコで応じたクリスチャンのベースが絡みつき、まことに哀愁を帯びた幻想的な世界を出現させたのである。クラシック音楽にインスパイアされた曲想の劇的な変化は、このトリオにして起こし得た価額変化の謂であり、ジャズだけでなくすべての音楽への豊穣なメッセージでもあった。もちろん、クリスチャンの正確無比なピチカートは健在で、目の覚めるようなはやさで演奏されるハイノートでの掛け合いは、僕たちをとことん魅了したのである。

 

 小曽根真といえば、ひさしぶりのトリオでの演奏を、この上なくいつくしみ楽しんでいた。ジャズの申し子としてのこの世に生を受けた天才少年が、いまや成熟の極みで、音楽の神にもういちど選び直されようとしている。いや、小曽根ほどの才能を持ってしても、毎回のステージで神に選び直されないかぎり、感動的な演奏はできないということを、小曽根自身が一番よく理解しているのだろう。多忙なスケジュールをやりくりし、小曽根とのセッションをなにものにもかえがたいものとして来日した二人の偉大なミュージシャンへの尊敬と愛とが小曽根を心からの笑顔にする。そして、世界一とも言われるブルーノート東京の聴衆へ、親しい友人を紹介するようにして最高の音楽を届けてくれるのだ。僕たち聴衆は、オープンマインデットなミュージシャンたちの産み出すグルーブの中で、ただただ自分の仕方でダンスを踊るだけなのである。ジャズクラブでの楽しみは、導入部で互いの出方をさぐる音楽家の「驚き」を共有できることであり、その「驚き」が渾身のソロプレイに結実する過程を目の当たりにすることであろう。小曽根の「いたずら」好きは有名だが、日を追って饒舌になるクリスチャンとジェフの「いたずら」も巧みで、世界的なジャズミューシャンの親密なチャットの中に身を置く僕たちは、彼らの極めて熱い溜息を体感することができた。そう、これがジャズなのだ。

 

 最初に述べたデジャヴとは、この小曽根真の姿だったと今思う。ステージ上で心のままにスイングし、天井を見上げてバラードを歌いあげる小曽根の姿を見て、この世界一チャーミングな音楽家とのが走馬燈のように思い出され涙を禁じ得なかった。音も匂いと同じように極めて原初的な感覚である。2001年の夏のツアー最終日の公演が終わった後、押さえがたい感動に突き上げられながら、横浜の自宅まで歩いて帰ったことをありありと思い出していた。あの日は台風の影響で横なぐりの雨が降っていたのだが、その雨の街の匂いまでが鼻の奥によみがえってきたのだった。この十数年に聴いたすべての楽曲と公演、コンサートホール、訪れた街、そして小曽根の言葉と笑顔、さらに感動を分かちあった友人たちの顔が、僕の心の中を去来する。やがて、あの日ブルーノート東京のステージでスタンディングオベーションを受けていた小曽根真の姿が、この夜の彼の姿に重なった。しかし、充実した四十代を過ごし多くの音楽的キャリアを積み上げてきた小曽根は、もう昔の小曽根ではなかった。彼がトリオ・ミュージックにカムバックしたのではない。トリオ・ミュージックが彼を呼び戻したのだ。トリオというジャズの定型が、いかに喚起力を持っており、人々をインスパイアするかということを、僕たちは今年の小曽根真トリオで知ることとなった。そしてそれは、僕たちファンにとって僥倖としか言いようのない経験であった。

 

 思えば2001年のブルーノート東京公演は、あの9.11の悲劇の直後に行われたのだった。2012年の公演は、3.11の東日本大震災から一年半、それに続く原子力事故が収束を見ない中で行われている。残念なことに、世界は少しもよくなってはいない。平和を安全も正義も、まだ理想でしかない。もちろん、芸術や音楽は、直接的に問題解決するための手段とはなりえないだろう。しかし、偉大な音楽家たちが互いを尊重しながら新しい音楽をつむぎ出し、聴衆たちが熱狂の拍手をおくるというライブにしかあり得ない一体感は、十分に人を信じ愛することのレッスンにはなりうるはずだ。だからこそ、小曽根真に託された世界の未来を、小曽根は生きつづけてゆかなければならない。それはとてつもない重責だが、小曽根真は笑顔で時代を駆け抜けてゆくであろう。

 

 もうあのすばらしい瞬間からすでに一日が経過した。ゆるやかな時の経過の中で、僕にはわかったことがある。それは、敬愛する音楽家と同時代を生きつづけてゆく人生は、ほんとうにすばらしいということである。僕には小曽根真がその人である。彼と彼の音楽がなかったら、僕は困難な四十代を生き抜くことができなかっただろう。だからこそ、僕はこれからも、最新の小曽根真と出会ってゆきたい。(了)

2012年9月19日(水) ブルーノート東京 セカンドステージ 21:45〜

 

 

 

 

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