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2011年4月

2011年4月16日 (土)

レストランに行こう!part2 震災をきっかけに出会ったすてきなお店のはなし

3月11日の大震災の日、代官山から横浜に徒歩で帰宅する途中、自由が丘で、お茶の無料サービスを行っている料理人姿の男性を見かけました。私の知る限り、あの夜、このような奉仕をしているお店はひとつだけでした。

私は、この震災において、誰が何をしてくれたか覚えていようと思っています。よいことも、悪いこともです。そしてよいことについては、まずお礼を言い、一生それを、その人を大切にしようと決めたのです。

先日、モンスーンカフェ自由が丘店を訪れ、食事をし、お礼を申し上げたことはふたつ前の記事に書きました。

そして、おととい、今度は妻を連れて昼食に行きました。

店長の三浦さん、キッチンのチーフ猶原(なおはら)さん、そして先日もお目にかかったYUKOさんにお目にかかり、改めてすばらしいお店だと感じたところです。

その夜、店長の三浦さんから再度メールをいただきました。ありがたいことです。

是非ご紹介いたしたく思います。

震災後、自粛ムードのなか、外食産業はたいへんな危機にあると聞きます。しかし、こんなすてきな店があり、今日も元気においしい食事で、寒々とした私たちの心を癒やしてくれてもいます。

みなさんに申し上げたいのです。

レストランに行こう!すてきなレストランに行こう!そこでは、料理のほかに愛も提供しています。

(お店からは一切の特典をいただいておりません。念のため。)

【往信】

中西様

本日は、ご来店ありがとうございました!お会い出来てとても嬉しかったです。トムヤムヌードルとパッタイ、お味はいかがでしたか?パッタイは私の一番好きなお料理です!大切な奥様も連れてきて頂いて、私も、お店としてもとっても幸せなことです。これからも、大事な人を連れてきて頂ける店にしていきます!

ありがとうございました。

モンスーンカフェ自由が丘 三浦 花子

【返信】

三浦様

丁寧なメールありがとうございました。またお店でお目にかかれまして光栄でした。

YUKOさんが、私のことを覚えていてくださって、大歓迎してくださったので、まるで親しい友だちの家に招かれたようにくつろいで、昼食をとることができました。

料理もおいしく、エスニック好きの妻も大喜びでした。

私はパッタイをはじめて食べたのですが、いっぺんで好きになりました。

妻は、料理もお店の人々も最高ねと申しております。

仕事柄、私は来週から忙しくなりますので、次に妻とふたりで昼食を食べる機会はずっと先になるのです。

その前に自慢のモンスーンカフェ自由が丘店で食事ができたのは、たいへん幸せなことでした。チーフの猶原さんもご挨拶に来てくださって、直接お礼を申し上げることができてうれしかったです。

妻と、やっぱりお店は「人」だねと言いながら帰りました。満腹で歩くのがちょっとつらかったですが、たいへん幸福な午後を過ごすことができました。

ほんとうにありがとうございました。

今度は食べ盛りの息子たちを連れてうかがいます。どうぞその時にもよろしくお願いします。

ちょっとうれしいことがあったときに、モンスーンカフェに行けば、幸せがみなさんとシェアできるような気がします。

あの不幸な大震災の夜の記憶をきっかけに、三浦さんをはじめすてきなスタッフの方々と知り合えて、神さまもちょっとだけ粋なことをなさるなと思っております。

どうぞこれからも毎日、明るく元気にお客さまを迎えてください。またお会いできることを楽しみにしております。

中西 光雄

中西圭三 「ぼよよん共和国」in 棚倉 開催をめざして!

この週末も、全国で、東日本大震災救援のためのチャリティーコンサートが行われています。

また被災地に、多くのボランティアの人々が駆けつけて、復興のために働いておられることでしょう。

ほんとうにすばらしいことだと思います。

私はこの十年、唱歌「蛍の光」の作詞者稲垣千頴(いながきちかい)について、研究を続けてきました。

ほとんどその経歴が不明の人物でしたが、史料探索と多くの方々のご協力によって、昨年やっと彼の生地が、福島県の棚倉町だということがわかりました。

このことを日本経済新聞の文化面で紹介したところ、棚倉町の未知の方々から多くのお問い合わせいただき、昨年の四月はじめてこの町を訪れました。

四月の終わりでしたが、季節外れの雪が降り、その中でで城址公園の桜が満開でした。静かで美しい南東北の町で、私はいっぺんに好きになりました。

出会った方々もみなさんすてきでした。もの静かなのだけれど、強い郷土愛に貫かれた尊敬できる方々ばかりでした。

藤田町長は、郷土出身の偉人が見いだされたことをとてもよろこんでくださり、是非町おこしのきっかけにしたいと言ってくださいました。実際、年頭のメッセージで、稲垣のことについてふれてくださっています。また震災前に終わった棚倉中学校の卒業式では、「蛍の光」を歌ってくださったと聞いています。

十一月には、私の講演会を町の文化センターで開いていただきました。目の覚めるような美しい紅葉と真剣な聴衆の方々が、私を歓迎してくれました。今年の二月には、研究仲間の菊野さんの講演会を聞くために、三度目の訪問をしました。

いつも同じ暖かい笑顔で迎えてくれる人々がいました。私は、この福島の小さな町を心から愛しています。

その棚倉がいま困難の中にあります。

大震災の直接的な被害は軽微であったと聞いています。特に人的な被害がなかったのは幸いでした。

しかし、震災後の燃料不足の中、町で一カ所だけ開いているガソリンスタンドでの給油を待つお年寄りが、練炭で暖をとっていたために、一酸化炭素中毒で亡くなりました。

福島第一原子力発電所の南西72キロにあるこの町は、しかし、今も放射線の脅威にさらされています。浜通りからの避難者150人を受け入れ励ましながらも、町の農家の人々は作付けさえままならない状態にあります。

私は、どうしてもこの棚倉町のお役にたちたい、励ましたいと思うのです。たとえおせっかいと言われても。

私の弟は中西圭三というシンガーです。うたの力をいちばん知っている人間のひとりです。

「蛍の光」という唱歌をきっかけにいただいたご縁、「うた」でおかえしできないかと考え、すぐに圭三にいっしょに棚倉に行ってくれないかと相談しました。彼は直ちに快諾してくれました。

圭三はいつか別荘でも建てようと福島県内に小さな土地を持っているのだそうです。日本の多くで失われた日本人の原風景、かえるのなき声や素朴な人々の日々の営みが、福島にあることを確信するひとりです。かつてイベントで訪れた相馬の惨状に心を痛めてもいます。だからこそ、福島の、棚倉の人々のために、うたの力を届けてくれることと確信しています。

幸い棚倉には、倉美館というすばらしいコンサートホールがあります。文化の町棚倉の誇りです。被災し改修が必要でしたが、五月にはそれも完了するそうです。

シンガー中西圭三は、震災応援の「ぼよよん共和国」プロジェクトを先月に発表し、本日(4月16日)の奈良をかわきりに全国でライブを行う予定です。そのひとつを、是非棚倉で開きたいと思っています。

すでに棚倉教育委員会の藤田さんとお話をはじめています。

できればシンガーが一方的に歌うライブではなく、町の人々が音楽に参加してくださる会にしたいと思っています。もし小さなお子様がいらっしゃるのなら、彼の生うたでNHK「おかあさんといっしょ」の「ぱわわぷ体操」を踊りましょう!

実現に向けて、是非地元の方々のご協力をいただきたく思います。

私自身もあらゆる努力を惜しまないつもりでおります。

どうぞよろしくお願いします。

中西圭三「ぼよよん共和国Project」

http://www.twitlonger.com/show/9hajda








2011年4月 6日 (水)

レストランに行こう!(モンスーンカフェ自由が丘店への感謝)

3月11日の大震災の日、徒歩帰宅者のために、店頭で温かいお茶のサービスを行っていた「モンスーンカフェ自由が丘店」。レストラン運営会社の(株)グローバルダイニングに感謝のメールをお送りしました。その後、店長の三浦さんから返信をいただきましたのであわせてご紹介します。レストランに行きましょう!

【往信】

(株)グローバルダイニング御中

3月11日午後、私は知人の結婚披露パーティの打ち合わせのため
あるフレンチレストランにいました。
テレビやラジオの報道で被害は甚大であること、
首都圏の電車はすべて止まっていることを知りました。
余震が続くなか、私は横浜の自宅へ徒歩で向かうことを決意。
東横線がいちはやく復旧することを期待して、
線路沿いの道を歩きました。
それはたくさんの人が歩いていました。
男性ばかりか、女性も、子供連れも、お年寄りも。
駅に近づくたびに鉄道の復旧を期待して改札を覗くのですが、
全く動く気配はありません。
めまいの持病を持つ私には、連続して2時間以上の歩行は
とても厳しいものでした。
自由が丘に着くころにはへとへとになっていたのです。
ある飲食店の前にひとりの白い調理服を着た男性が立ち、
徒歩帰宅者たちに声をかけていました。
「無料で暖かいお茶のサービスをしています。

是非飲んでいってください」。
駅が近いので足早に通り過ぎる人が多かったのですが、
その男性はピッチャーとカップを持ち、繰り返し大きな声をかけているのです。
実は私は、彼からお茶をいただいたわけではありません。
私も急いでいたからです。
ただ、お店の名前は覚えていよう、
そして後日必ずここで食事をしようと思いました。
徒歩帰宅者にお茶を振る舞うというのは、とても小さな善意です。
でも、誰にも簡単にできることではありません。
実際、その日私は、代官山から日吉まで歩いたのですが、
店頭でお茶を振る舞っていたのは、このお店一軒だけでした。
だからこそ、このことを覚えていよう、そして
友人たちや多くの人に語ろうと思ったのです。
電気の消えたエントランスを覗いて見ました。
「モンスーンカフェ自由が丘店」とありました。

震災後3週間たって、昨日、私ははじめてそのお店を訪れました。
ランチをいただきました。
エスニック料理が好きな私には、とてもおいしい料理でした。
この店を知らなかったことを後悔したほどです。
食事が終わった後、思い切ってホールの女性に声をおかけしました。
YOKOさんというスタッフでした。
明るく気持ちのよい女性です・
私が3月11日のお礼を言いに来たんですというと彼女は
とてもよろこんでくれてこう教えてくれたのです。
「あの日キッチンのチーフをしていた『ならはら』がアイデアを出し、
お茶のサービスをはじめたんです。
あの夜お店の前に立っていたのは、その『ならはら』さん自身だったんですよ」
私は、そのならはらさんに感謝の言葉を伝えてくださるように
YOKOさんにお願いしました。
「ならはら」も喜ぶはずだと、YOKOさんは言いました。

私には知りたいことがあったのです。
「モンスーンカフェ」が「グローバルダイニング」グループのお店であることは、
震災数日後、インターネット調べて理解していました。
個人経営のお店ではないのです。
だから、例えば、あの日のお茶のサービスは、本部からの指令によって
行われていた可能性もあったわけです。
もしそうなら、お礼は会社に言うべきだと思いました。
でも、自由が丘店独自の判断なら、店長さんやスタッフに、まず
お礼を申し上げなければなりません。
だから、どうしても一度お店に足を運ばなければ
ならなかったのです。
その疑問が、昨日氷解しました。

真実を知り、グローバルダイニングという企業に対する
尊敬の気持ちがより強くなりました。
とても大きな外食グループ企業でありながら、
すばらしい発想と情熱を持った従業員が大勢いらっしゃいます。
人として正しく、そしてお店を愛しておられます。
自由な発想でお客さまの要望に応えられる人々です。
おそらく会社の雰囲気がそうなのでしょう。
そのことが、今回のことでよくわかりました。

私がモンスーンカフェを利用したのは、昨日がはじめてですが、
今後しばしば訪れようと思っています。
自由が丘店は活気のある明るいお店でした。
今度はエスニック好きの家族を連れてゆきます。

今回のことは、私のツイッターで友人たちにも発信しております。
是非多くの方々に、モンスーンカフェのすばらしさを
伝えてゆこうと思います。

震災と停電で、外食産業はすくなからず厳しい状況だと聞いております。
しかし、すばらしいスタッフの存在は、貴社の今後のますますの発展を
約束していると信じます。
またお店を訪れることを楽しみにしております。

ありがとうございました。

中西光雄


【返信】

中西 光雄様

突然のメールで申し訳ございません。
私、自由が丘モンスーンカフェ店長の三浦と申します。
中西様から頂いたメールを拝見し、胸が熱くなりました。
 
震災当日は、
日本中全ての人がきっと不安と悲しみに覆われたことと思います。
私たちに出来ることは、なんだろうとスタッフと話し合い、
暖かいお茶を用意したり、トイレや、電車待ちの場所を提供することにしました。
それが、こんな形で喜んで頂けるとは思っていなかったので、
本当に中西様のメールが嬉しかったです。
料理長の猶原もとても、とても喜んでいました。
アルバイトのスタッフにもこのことをお伝えさせて頂き、
お客様に元気を与えられる店に出来るよう精進致します。

本当に、嬉しいメールをお送り頂きありがとうございました。
桜は咲き始めましたが、まだまだ朝夜は寒いので体調崩さないようご自愛ください。

モンスーンカフェ自由が丘店 店長
三浦 花子

2011年4月 5日 (火)

福島県棚倉町からの便り

福島県棚倉町の町議松本英一さんが、コメントを寄せてくださいました。

松本さんは腹話術の名人で、人形とともに避難所を回って

人々を励ましておられます。

その姿は、先日、NHKの「おはよう日本」で紹介されました。

またご自宅が被災されたにもかかわらず、

一時原発避難者を22名も受け入れておられました。

すばらしい方です。

私は心から尊敬しています。

松本さんのコメントを改めてご紹介します

「お久ぶりです。

棚倉は東日本大震災は軽微でしたが棚倉幼稚園舎は修理が必要で

分散授業する予定です。

なお、原発事故の避難者が来ており、早く終息するのを願う呑みです。

中学校卒業式は震災前に終わり、君が代で始まり蛍の光で式が閉じました。」

松本さんのHPを是非ご覧ください。

http://www5.ocn.ne.jp/~poppy/top.htm

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