最近のトラックバック

« 川越での新しい出会い | トップページ | いよいよ棚倉へ! »

2010年4月 9日 (金)

入学式

今日は、長男と次男の入学式でした。長男は高校生に、次男は中学生になりました。

もちろんふたりは別々の学校に通うのです。だから、私は長男の高等学校に、妻は次男の中学校の卒業式に出席しました。

「蛍の光」や卒業式を研究しているからといって、学校儀式が好きなわけではないのです。むしろ、ネクタイを着け、正装して望まねばならない儀式への参加は、苦手中の苦手です。実際、数週間前に行われたふたりの卒業式には、出席しませんでした。

研究者としては失格です。親としても…かもしれません。

長男に「おまえにとっては入学式と卒業式とどちらが大切なの?」とかなり滅茶苦茶な質問をしたところ、即座に「そりゃ、入学式だよ!」と答えられて、入学式に出席することにしました。彼にしてみれば、これからはじまる高校生活への期待が極限に達していたのでしょう。その思いに触れてみたくなりました。

音楽を中心に学ぶとても小さな学校なのです。その親密な小ささが、私にはとても貴重で好ましく思えました。また、管弦楽で歌う「君が代」や校歌も新鮮でした。そして、稲垣千穎が教えていたころの師範学校の規模を彷彿としたのでもあります。

とはいえ、私たちにとっては当たり前の「入学式」も、世界的に見れば、当たり前に存在するものではありません。

テレビドラマ「のだめカンタービレ」で、パリのコンセルヴァトワールに留学した主人公「のだめ」が、この学校では、入学式もなく講義やレッスンが始まることを友人から聞いて、非常に驚く場面がありました。フランスでは、小学校から入学式はないのだそうです。

また、ニュージーランドでは、子どもが五歳になると、その翌日に親が小学校に連れて行き、そこから義務教育がはじまるのです。ひとりひとりの子どもの入学時期が異なるのですから、やはり入学式はありません。

日本でも、同一年齢の者が同一学年で学ぶという学校制度が確立するまでは、現在のような入学式は存在しえないのです。

学制の施行以降、とりわけ地方では、親が子どもたちをなかなか学校へ通わせませんでした。だから、正月には、学校で先生がお菓子を配ったという記録もあります。単位制の小学校では、一年ごとに入学し卒業証書が授与されたところもありました。学校での試験が、地域の一大イベントであったこともあります。だから、日本では、入学式と卒業式の歴史は、意外に浅いのです。なのに、私たちの近代は、歌や音楽とともに、この儀式を思い入れたっぷりのものに育ててきました。

日本人は儀式が好きなのでしょうか?それは民族性なのでしょうか?

私は、そうは思いません。儀式は、誰かが何かの目的のために創ったのです。演劇的であり、身体の美しい所作をともなう儀式は、極めて政治的なものだと、私は思っています。

あふれ出る感情が、美しい儀式という衣装をまとったとき、歴史がどのよう動くのか、私は歴史家として、冷静に見つめてみたいと思います。

歴史研究は、自分の解剖でもあります。






« 川越での新しい出会い | トップページ | いよいよ棚倉へ! »

唱歌・讃美歌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/174509/48034973

この記事へのトラックバック一覧です: 入学式:

« 川越での新しい出会い | トップページ | いよいよ棚倉へ! »

2017年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
無料ブログはココログ

twitter