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2010年4月19日 (月)

棚倉での出会い!

17日の深夜、東北道の白河インターをおりてみたら、一面銀世界でした。

16日から降り続いた春の雪が積もっていたのです。

ノーマルタイヤの私の車で、棚倉までいけるのか心配したのですが、

翌18日は朝から快晴で、山と山の間に広がる真っ白な畑をぬうように、

一路棚倉を目指したのでした。

十年という年月をかけて、稲垣千穎の生誕の地にたどり着くのです。

感激もひとしおでした。

棚倉町は、文化政策に多くの予算を計上し、すばらしいコンサートホールを持っています。

その棚倉町文化センター「倉美館」の事務室で、棚倉で歴史研究を続けておられる方々に教えを請いました。

棚倉町教育委員会の藤田さん、文化財保護審議会委員で初雁温知会の会員山田さん、そして、新聞記者の吉田さん、水野さん。

とりわけ、父上の代から続けられてきた山田さんの、棚倉における松平・松井家に関する研究は精緻を極め、さまざまな新しい史料を見せていただきました。

山田さんの祖先は、転封で川越に移った後、明治になってから棚倉に戻ってこられたのだそうです。江戸時代の武士は、一種のサラリーマンですが、出生地に対する深い愛郷意識を持っておられた方を知り、感激しました。

山田さんの見せてくださった史料によって、稲垣の出生年月がわかりました。これで、年譜が確定したことになります。

また、昭和14年に、稲垣が「蛍の光」の作詞者だということで、初雁温知会のメンバーが、証拠探しに奔走したこともわかりました。昭和14年当時見ることができた史料では、確定が難しかったようですが、稲垣研究の先達がいたことがわかり、非常に励まされました。

稲垣が、いかに歴史のなかで完全に忘れ去られてきたか、手に取るようにわかりました。

棚倉時代の屋敷割図から、一時期、稲垣家が江戸詰であった可能性も考えられますが、稲垣千穎が棚倉生まれであることは、まず否定できないと思われます。

今後、さらに徹底的に資料をつきあわせて、稲垣千穎の全人生を俯瞰し記述できるようにしたいと考えています。

歴史の研究をしている者同士の、丁々発止の議論は実に白熱し、また楽しく、非常に有意義な時を過ごすことができました。

その後、ちょうど桜まつりが開かれている棚倉城趾で、棚倉町の藤田町長におめにかかり、光栄なことに、城址公園をご案内いただきました。

大手門址近くにある樹齢数百年のくすのきは、稲垣千穎が見上げたであろう木でもありました。

戊辰戦争で炎上した棚倉城ですが、土塁の美しい城でありました。

満開の桜に、雪の白さが映えて、えも言われぬ美しさでした。

是非、この美しい棚倉のみなさまにも、稲垣千穎のことを知っていただきたいと念願しています。

お忙しい中、おつきあいくださった、藤田町長、そしてみなさまに心から感謝しております。

いただいたご厚情を情熱にかえて、さらに研究にとりくむ所存です。

ありがとうございました。

















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唱歌・讃美歌」カテゴリの記事

コメント

中西先生、大変ご無沙汰しております。
実はとあるきっかけで急に先生のことを思い出しました。
20年ほどまえにお茶の水ゼミナールでお世話になった者です。
メールもお送りさせていただきましたので、もし覚えていてくださるようでしたら、ぜひメールを読んでいただけるとうれしいです。
突然のコメント失礼いたしました。
よろしくお願いします。

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