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2010年4月

2010年4月29日 (木)

札幌

新学期がはじまって二週間があっという間にたちました。

今年度から札幌に出講することになったので、昨夜から札幌にステイしています。

先週も、今週も、とても寒い! 

風がとても強い街だと感じました。

小曽根真さんの"Reborn"のライナーノーツを書かせていただくきっかけになった

塩谷哲さんとのコンサートは、この街のコンサートホールkitaraで行われたものでした。

あの熱い夜のことを今でも思いだします。

札幌は私にとって、ラッキーな街なのです。

今度は私が、生徒たちに幸福を届けねばと思います。

札幌の夜は、ひとりで過ごせる時間を与えてくれました。

だから、テレビっ子の私が、テレビをつけず、静かに過ごしました。

水曜の夜に札幌に来て、「水曜どうでしょう?」を見ないのは勇気がいります。(笑)

でもしばらくは、このようにしてみようと思っています。

今日は祝日ですが、朝から夜までしっかり授業です。

2010年4月19日 (月)

棚倉での出会い!

17日の深夜、東北道の白河インターをおりてみたら、一面銀世界でした。

16日から降り続いた春の雪が積もっていたのです。

ノーマルタイヤの私の車で、棚倉までいけるのか心配したのですが、

翌18日は朝から快晴で、山と山の間に広がる真っ白な畑をぬうように、

一路棚倉を目指したのでした。

十年という年月をかけて、稲垣千穎の生誕の地にたどり着くのです。

感激もひとしおでした。

棚倉町は、文化政策に多くの予算を計上し、すばらしいコンサートホールを持っています。

その棚倉町文化センター「倉美館」の事務室で、棚倉で歴史研究を続けておられる方々に教えを請いました。

棚倉町教育委員会の藤田さん、文化財保護審議会委員で初雁温知会の会員山田さん、そして、新聞記者の吉田さん、水野さん。

とりわけ、父上の代から続けられてきた山田さんの、棚倉における松平・松井家に関する研究は精緻を極め、さまざまな新しい史料を見せていただきました。

山田さんの祖先は、転封で川越に移った後、明治になってから棚倉に戻ってこられたのだそうです。江戸時代の武士は、一種のサラリーマンですが、出生地に対する深い愛郷意識を持っておられた方を知り、感激しました。

山田さんの見せてくださった史料によって、稲垣の出生年月がわかりました。これで、年譜が確定したことになります。

また、昭和14年に、稲垣が「蛍の光」の作詞者だということで、初雁温知会のメンバーが、証拠探しに奔走したこともわかりました。昭和14年当時見ることができた史料では、確定が難しかったようですが、稲垣研究の先達がいたことがわかり、非常に励まされました。

稲垣が、いかに歴史のなかで完全に忘れ去られてきたか、手に取るようにわかりました。

棚倉時代の屋敷割図から、一時期、稲垣家が江戸詰であった可能性も考えられますが、稲垣千穎が棚倉生まれであることは、まず否定できないと思われます。

今後、さらに徹底的に資料をつきあわせて、稲垣千穎の全人生を俯瞰し記述できるようにしたいと考えています。

歴史の研究をしている者同士の、丁々発止の議論は実に白熱し、また楽しく、非常に有意義な時を過ごすことができました。

その後、ちょうど桜まつりが開かれている棚倉城趾で、棚倉町の藤田町長におめにかかり、光栄なことに、城址公園をご案内いただきました。

大手門址近くにある樹齢数百年のくすのきは、稲垣千穎が見上げたであろう木でもありました。

戊辰戦争で炎上した棚倉城ですが、土塁の美しい城でありました。

満開の桜に、雪の白さが映えて、えも言われぬ美しさでした。

是非、この美しい棚倉のみなさまにも、稲垣千穎のことを知っていただきたいと念願しています。

お忙しい中、おつきあいくださった、藤田町長、そしてみなさまに心から感謝しております。

いただいたご厚情を情熱にかえて、さらに研究にとりくむ所存です。

ありがとうございました。

















2010年4月17日 (土)

いよいよ棚倉へ!

新学期がはじまりました。

あわただしい中ですが、明日18日はじめて福島県棚倉町を訪問します。

今日はこれから横浜で高校生の授業ですが、終了後そのままクルマで新白河へ。

そこで宿泊して、午前中から人にお目にかかったり、街を散策したり…。

今朝まであまりににも寒かったので、行けるかどうか心配でしたが、

お天気も味方してくれているようです。

新しい、よい出会いがありますように!

では行ってきます。

2010年4月 9日 (金)

入学式

今日は、長男と次男の入学式でした。長男は高校生に、次男は中学生になりました。

もちろんふたりは別々の学校に通うのです。だから、私は長男の高等学校に、妻は次男の中学校の卒業式に出席しました。

「蛍の光」や卒業式を研究しているからといって、学校儀式が好きなわけではないのです。むしろ、ネクタイを着け、正装して望まねばならない儀式への参加は、苦手中の苦手です。実際、数週間前に行われたふたりの卒業式には、出席しませんでした。

研究者としては失格です。親としても…かもしれません。

長男に「おまえにとっては入学式と卒業式とどちらが大切なの?」とかなり滅茶苦茶な質問をしたところ、即座に「そりゃ、入学式だよ!」と答えられて、入学式に出席することにしました。彼にしてみれば、これからはじまる高校生活への期待が極限に達していたのでしょう。その思いに触れてみたくなりました。

音楽を中心に学ぶとても小さな学校なのです。その親密な小ささが、私にはとても貴重で好ましく思えました。また、管弦楽で歌う「君が代」や校歌も新鮮でした。そして、稲垣千穎が教えていたころの師範学校の規模を彷彿としたのでもあります。

とはいえ、私たちにとっては当たり前の「入学式」も、世界的に見れば、当たり前に存在するものではありません。

テレビドラマ「のだめカンタービレ」で、パリのコンセルヴァトワールに留学した主人公「のだめ」が、この学校では、入学式もなく講義やレッスンが始まることを友人から聞いて、非常に驚く場面がありました。フランスでは、小学校から入学式はないのだそうです。

また、ニュージーランドでは、子どもが五歳になると、その翌日に親が小学校に連れて行き、そこから義務教育がはじまるのです。ひとりひとりの子どもの入学時期が異なるのですから、やはり入学式はありません。

日本でも、同一年齢の者が同一学年で学ぶという学校制度が確立するまでは、現在のような入学式は存在しえないのです。

学制の施行以降、とりわけ地方では、親が子どもたちをなかなか学校へ通わせませんでした。だから、正月には、学校で先生がお菓子を配ったという記録もあります。単位制の小学校では、一年ごとに入学し卒業証書が授与されたところもありました。学校での試験が、地域の一大イベントであったこともあります。だから、日本では、入学式と卒業式の歴史は、意外に浅いのです。なのに、私たちの近代は、歌や音楽とともに、この儀式を思い入れたっぷりのものに育ててきました。

日本人は儀式が好きなのでしょうか?それは民族性なのでしょうか?

私は、そうは思いません。儀式は、誰かが何かの目的のために創ったのです。演劇的であり、身体の美しい所作をともなう儀式は、極めて政治的なものだと、私は思っています。

あふれ出る感情が、美しい儀式という衣装をまとったとき、歴史がどのよう動くのか、私は歴史家として、冷静に見つめてみたいと思います。

歴史研究は、自分の解剖でもあります。






2010年4月 7日 (水)

川越での新しい出会い

6日に、川越市立博物館に調査に出向きました。棚倉に行く前に、稲垣千穎の出自と幼少期について、なるべく具体的な情報を得ておくためです。

思いがけず、博物館の大野館長から、お二人の女性を紹介していただきました。

川越在住の笹原さんと小坂部さん。

なんと笹原さんは稲垣の子孫で、友人の小坂部さんが仲介をしてくださったのでした。

稲垣千穎は、数度の結婚(離婚)をしていますから、鎌倉の鎌田さん以外にも、子孫がおられることはわかっていましたが、そのご本人に突然お目にかかることができて、私は驚くと同時に、大変感激しました。

笹原さんは、東京四谷のご出身ですが、古都川越にあこがれて、二十数年前に、たまたま転居されて来たのだそうです。

一年程前から日経新聞を購読されていたそうですが、3月16日に、お祖母さまやお母様から聞いていた先祖稲垣千穎のことが取り上げられていて、たいへん驚かれたとのこと。川越との不思議な縁を、あらためて感じられたのだそうです。

それで、小坂部さんを介して、私に会いに来てくださったのでした。このブログも、たいへん丁寧に読んでくださっていて、感激いたしました。

今回笹原さんから教えていただいたことは、以前鎌田さんから伺った情報とあわせて、稲垣の家系や人となりについて具体的にイメージする十分な素材・証拠になります。今後の研究に役立ててゆきたいと思っています。

このような不思議な出会いがあるからこそ、歴史研究はおもしろいのだと私は思います。

インターネットの時代です。私のような非・専門研究者は、インターネットがなければ研究が始められませんし、インターネットがあればこそ研究が進展するのも事実です。私が、どれほど、IT技術の恩恵に浴しているか語りつくせません。

ですが、最終的には、現場に出向き、人と出会わないと、歴史は真実を語ってくれないと私は思っています。この単純な真理に向き合ってきた十年間でした。

これからも、臨床の歴史を目指して、泥臭く頑張ろうと思います。

新しい出会いに感謝いたします。







2010年4月 1日 (木)

棚倉に調査に伺います!

日本経済新聞に記事が掲載されてから、福島県棚倉町の複数の方からお問い合わせをいただきました。

既に、地元の新聞夕刊たなぐらに、稲垣千穎のことを紹介していただいたようです。

旧川越藩(松井家)の親睦組織「三芳野温知会(現初雁温知会)」の会報に掲載された稲垣の追悼記事は、大枝美福という方が書いたものですが、この方は、「埼玉県内郡誌略」(国立国会図書館デジタルアーカイブポータルで公開)という地理の教科書の編者であり、ノーベル物理学賞を受賞者朝永振一郎博士の母方の祖母でもあります。この大枝の父が学者・教師で、幼少期の稲垣に読書習字を教えたというのです。

大枝の追悼文には「磐城の棚倉に生れ」と書かれていますが、この事実を是非確認したいと思っています。

幸い棚倉には、初雁温知会の棚倉支部があり、棚倉時代の松田家について実に詳細に調べておられる方がいらっしゃいます。お電話で伺ったのですが、当時の武家の屋敷割りから、居住の事実確認ができるかもしれないということでした。

是非、直接お会いしてご教示をいただきたく、近いうちに棚倉に伺うことにしました。また、私の方からも、棚倉の方々に稲垣千穎についてわかっていることをお話させていただきたいと考えております。

また日程を決めていませんが、4月18日か25日の日曜日に伺おうと思っています。これから、みなさまとご相談しようと思っております。

棚倉のみなさま、お目にかかれることを楽しみにしています。よろしくお願いいたします。

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