教会へ
僕は、昨年のクリスマスに、受洗20周年を迎えた。
といっても、教会に毎週かよっていたのは最初の10年だけで、あとの10年は忙しさにかまけて、名ばかりのクリスチャンだったといえる。
僕自身クリスチャンホームに育ったわけではないし、僕の家庭もクリスチャンホームではない。妻はきちんとした信仰を持つ仏教徒なのである。
若き日の苦悩を解決するためにキリスト教に興味を持ったわけではない。むしろ、教師という職業を転職とするなら、キリスト者でなければならないと思い、洗礼を受けたのだが、信仰生活が身についていないものは、結局弱いと感じる。信仰は思想ではなく(もちろんその部分もあるが)、生活そのものだからである。
昨年の夏、あるきっかけから、また教会の礼拝に通うようになった。仕事の関係で、クリスマスとかイースターといった大きな行事にはいつも出席できないのだけれど、一月に一度は必ず教会を訪れることにしている。
代田教会の平野克己牧師は、彼が阿佐ヶ谷教会の伝道師の時代に、僕と一緒に教会学校の高校生のクラスを担当していた方である。クリスチャンホームの豊かな信仰の中で育ってきた彼は、僕の信仰上の問いかけに常に懇切丁寧に、愛情をもって答えてくれた。以来、友人となり、離ればなれになったからも、お互いの仕事を遠くから見つめてきた。
伝道師時代からとても豊かな力強い説教をしていた、その平野先生は、二十年後、ますますみずみずしい言葉で聖書を、神の愛を語られる牧師になっておられた。僕は、今日も平野先生の魂の奥底に届く説教に涙を禁じ得なかった。そして勇気が与えられた。
福音書の記述者のように真実の神を語る牧師。僕も歴史研究者として、福音書を書くように伝記・評伝が書けなければならないだろう。
そのいちばん大切なことを思い起こさせてくれるのが、教会の礼拝なのである。
日本基督教団代田教会
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