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2006年5月14日 (日)

縁(えにし)

今週は、とても忙しい一週間だった。ひさしぶりに土曜日まで仕事。今日は、今秋出版される予定の参考書の作成会議だった。日本史と古文の講師のコラボレーションによる、受験一辺倒ではない新しいタイプの参考書を作るべく四人で侃々諤々。素材選びに手間取って午後一時にはじまった会議が、気づいたら八時近くまで続いた。僕の担当は、もともと専門の上代(奈良時代)と、ぐっと下って近世(江戸時代)である。近年、国公立大学の二次試験を中心に、近世の文章の出題が増加している。それは、大学入試センター試験に象徴されるように、受験生へのフェアネスに配慮して、近世の大量出版文化の中に埋もれたマイナーな作品に着目し、すべての受験生にとって初見の文章を出題しようする意志が出題者側に働いていることが一つの原因である。しかし、明治以来連綿として教科書を管理してきた文学部国文学科が、近年の人文系学問軽視の風潮と、文部科学省の強い指導に後押しされて、全国的に解体・再編されつつあり、その結果として、いわゆる国文学プロパーだけでなく、歴史学・社会学といった隣接諸科学、そして政治・経済といった社会科学系の学問の専門家までもが、入試問題作成に関わるようになったことも一因といえるかもしれない。以前なら、近世文といば、松尾芭蕉の俳諧・俳文であったり、文人の典雅な歌文集・紀行に限られていたものだが、今や、江戸期の都市の形成と旺盛な市民の経済活動などにも触れた、歴史的な背景知識がないと読解できない考証も多く出題されるようになった。例えば、金銭の貸借論、つまり具体的には、商都大坂の市民が借金を踏み倒す話などはおもしろいが、和漢の学問に通じた近世の知識人の、あまりにもペダンティックな漢籍の引用や凝りに凝った修辞などを前にすると、自分の知識の浅薄さを実感せざるをえない。近世思想史へのまなざしも当然要求されるところだ。しかし、法学部や経済学部といった社会科学系統の学部・学科では、古文の入試とはいえ、その専門分野に関連する政治・経済の話題が出題されるほうが自然なのであり、やっと日本の大学もまともになりつつあると言えるのかもしれない。こうした文章を、日本史の講師に教えを請いながら読み進めてゆくと、はじめて気づき理解できるところが大変多い。参考書をつくりながら、一番学んでいるのは僕自身であることは間違いなく、学ぶことの感動と喜びが行間にあふれるならば、きっとよい参考書ができるだろうと思う。だから、相当にタフな仕事になるには違いないが、これからの数ヶ月参考書づくりを心から楽しもうと思っている。

雨の帰途、日本史のI先生のクルマに便乗させていただいた。I先生は、50台後半になっってから教習所に通い、免許を取得するやいなやドイツ製のスポーツカーを購入した。そしてその運転はスポーツカーに似つかわしくアグレッシブでスパルタンだった。元祖ちょいわるオヤジ風のI先生には大変なカリスマ性がある。それが、この行動力にあることを僕は改めて理解したのである。I先生は、団塊の世代に属しているが、今でも時々僕たちに向かって「俺はおまえらの世代には絶対に負けないからな」と挑発的な発言をしたりもするのだが、その敵愾心の強さが、なんともいえない色気とチャーミングさを醸し出しているから不思議だ。僕たちも、彼らに一生負け続けているわけにはいかない。

僕が、国文学の世界に志したのは、高校一年生の秋に岡野弘彦著『折口信夫の晩年』(中公文庫)に出会ったからだ。不世出のポエタ・ドクトゥス(詩人学者)折口信夫の晩年を、生活を共にしながら看取ってゆく学生岡野弘彦の描く、あまりにも濃密な師弟関係に僕は震撼し圧倒された。そして、僕自身も岡野弘彦の弟子になりたいと思ったのだった。数年後、僕のこの小さな願いはかなえられた。一浪して入学した大学の講義で、岡野先生の第一声を聴いたあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。この岡野弘彦が、大学の予科に入学しようとしたとき、それは太平洋戦争のただ中のころであったが、面接官であった陸軍の将校が、岡野青年の入学に難癖をつけた。その時、もうひとりの面接官がこう言い放ったのだそうだ。「この青年がこれほどまでに入りたいというのだからそれでいいじゃありませんか」と。軍人にたてつくというのは勇気のいることだ。が、このひと言のおかげで、岡野青年は大学に入学し、折口信夫と出会うことになるのである。そして、その面接官が、I先生の父上なのであった。「おれのオヤジがいなけりゃ、岡野さんは大学へ入学できなかったわけだ。岡野さんがいなけりゃ、今のおまえもない。だから、うちのオヤジがいなけりゃ、今のおまえはないということだな」と笑う。見事な三段論法である。僕が、今の予備校に入ったとき、I先生はすでにカリスマ講師だった。だから若手の僕は、しばらくの間口さえ聞けなかった。だから、十年ほど前にこの話を聞いて、僕はその浅からぬ縁に未だに感動し続けているのでもある。僕の一生を変えた本の主要な登場人物の息子さんが、今僕の隣でハンドルを握っているのだ。一緒に参考書をつくっているのだ。不思議な縁というものは、実際に存在している。

まもなく日曜日の朝だ。夜が明けたら、僕は宮崎に行く。宮崎国際音楽祭で、僕が敬愛するジャズピアニスト小曽根真さんとシャルル・デュトワが、モーツアルトの協奏曲「ジュノム」で共演するのである。聞きにゆかないわけにはいかない。四十歳の秋に、僕は小曽根真さんとその音楽に出会った。今に至るまで小曽根さんの言葉と音楽にどれだけの慰めと雪をを与えられたかわからない。僕が、小曽根さんの主宰しているフォーラムに投稿した過去のライブレポートは、友人のしば姫さんがご自分のHPで管理してくださっている。このブログからもリンクをらせていただいたので、もし興味がおありでしたら、ご覧いただけると幸いです。

みなさまに感謝!

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コメント

タフなお仕事のあとの音楽祭、いかがでしたか?
参考書づくりもコンセプトによって、様々な可能性を持っていますね。楽しみにしています。

古文も日本史も実社会を知った社会人にとっては、学生時代よりも理解しやすくなっていると思います。
ただいきなり入るにはちょっと・・・と思う人は私を含めて多いと思います。入口を簡単に見つけることができれば、とても面白いものです。今まさにそんな感じです。

mimikoさん、いつもコメントありがとうございます。
最近では、予備校にも一度社会に出てから、改めて大学に入ろうとして通って来る方がおられます。実際、僕より年上の方に教えたことがあります。そういう方は、目標がはっきちしていて、気持ちいいほど勉強されますね。
大学でも、社会人入試を経てきた方のほうがより意欲的であると思います。どうしても知りたいこと、やりたいことがある、つまりモチベーションがあることが、一番の原動力ですね。それは、例えば資格試験に限ったことではなく、教養の局面においてもそうです。
いずれは、大学受験用の参考書ではなく、一般向けの古典ガイドのような本が書きたいと思っています。共著ではなく、単著では、学習参考書でないものを最初に出したいなあ…というのが、今のところ僕の目標です。

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