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2006年4月16日 (日)

実学と大学

いよいよ明日から新学期が始まる。緊張の一週間だ。今日は授業の予習をしながら、なんとなく一日中落ち着かなかった。これから一週間かけて、おそらく千人以上の新しい生徒と出会う。それが、僕たち予備校講師の仕事なのだ。僕はもう二十年近くこの稼業を続けてきているが、毎年春のこの緊張は変わらないばかりか、年を追っていや増しに増す。生徒たちともどんどん年齢が離れてきて、今や親の世代となってしまった僕にとって、予備校講師にとって必要とされる「若さのオーラ」はもはやない。孤独に、新しい境地を求めてゆく一年になりそうだ。

確か中学生のころだろうか、ハーバード・ロースクールでの学生生活を描いた「ペーパーチェイス」という映画を見た。ソクラテスのメソッドと言われる独特の講義形式で、学生達は厳しい教授から知識の吟味を受け、写真的な記憶力に絶対の自信を持っていた学生が、最初にドロップアウトする。ひたすら勉学と試験に追いまくられる一年間に、教授の娘との恋がかすかな彩りを添える。アメリカのエリート教育のすさまじさをまざまざと見せつけられてたことを思い出す。

あのころ、日本では夢物語だったロースクールが、今は全国の大学に設置され、まもなく修了者に向けた司法試験も始まる。ロースクールだけではない。専門職大学院が次々に開設され、学部も含めた大学の実学への傾斜は、今やブームとすらいってよい。国公立・私立を問わず偏差値の高い有名大学は、こぞって大学院大学化を目ざし、いまや教員の多くが大学院所属となった大学も多い。もともと実学志向の強かった日本の大学だが、恐らくこの傾向はいっそう鮮明になるだろう。一方で、例えば僕の出た文学部日本文学科のような人文系の基礎研究の分野は、研究費などの点でも苦境にたたされていると聞く。大学に残り研究者に道にすすんだ友人達も、大学で文学を講ずるのではなく、「日本語表現」といったビジネスライティングなどの科目を担当することが多くなったと言う。僕は実学を否定するものではないが、教養の府の大学である以上、リベラルアーツとの共存がもっと図られてよいのではないかと思う。日本でも、いくつかの大学で、ダブルディグリー制がとられ、二つの学位を同時に取得できるようになったが、ひとつは実学、ひとつは文学やアート、という学生が増えればよいのにと願わずにはいられない。もともと、日本の大学は、例えば、東京帝国大学が芸術学部を内包しないまま誕生したように、実学に傾斜する傾向が強い。それが、日本人の政治家・経済人の底の浅さにつながっていると指摘する識者もいるくらいだ。これから僕が教える受験生達も、時代のニーズに流されず、しっかりと自分の夢と希望を見つめながら、大学を選んで欲しいと思う。

昨日、スポーツトレーナーのN君について書いた。もちろん、スポーツトレーナーへの道も実学に違いないが、大学でもその道を目指すことができる。例えば、早稲田大学のスポーツ科学部がそれで、新設学部ながら、すばらしいスタッフと独自のカリキュラムを揃えたおすすめの学部である。小論文の講師に聞くと、この学部を目指す生徒の指導がもっともやりやすいそうだ。それは、彼らの意志がはっきりと決まっているから…。大学で漠然とモラトリアム状態を継続しようとする他学部の志望の学生とは、明らかに質が違うのだそうだ。昨年、僕のところにも、そうした受験生が何人かやって来た。熱意に感じて、なんとかして合格させてあげたいと真剣に思った。アメリカの大学では、四大プロスポーツに直結するトップ・アスリートたちがいる大学には、アスレチック・トレーナーの養成学部がある。優れたアスリートたちの身体を間近に見ることができるから、優れたトレーナーが育ってゆくという道理だ。僕の通うジムの代表Sさんもそんなひとりで、彼自身早稲田のスポーツ科学部で講師をしていたこともあり、彼は他大学出身ながら、今トレーナーを目指すなら早稲田を薦めますよ…と言っていた。早稲田なら、優れたラグビー選手、駅伝選手、スケート選手など、世界レベルのアスリートたちとともに学べるのだ。スポーツマネジメントやスポーツジャーナリズムの講座も擁するこの学部のこの実学はすばらしいと思う。

ただ、これは仄聞しただけで確かな情報ではないのだが、この学部の卒業生(スポーツ科学部の前身学科の卒業生ということだが…)の少なからぬ者が、就職先にスポーツ・トレーナーを選ばず、一般企業を選ぶということが、教員たちの悩みの種であるとも聞いた。クライアントひとりひとりの身体的特徴と体調をつかみ、信頼感を勝ち取り、ともに汗をかきながらトレーニングをしてゆくある意味で泥臭い仕事に耐えられない若者も多いということかもしれない。また、早稲田の卒業生であれば、一般企業にも就職しやすいという側面も影響しているかもしれないのだが…。やはり、日本の企業風土、就職慣習などに、大きな問題がありそうな気がするのだ。

そこでまたN君のことに戻る。彼のスポーツ・トレーナーにかける情熱とプライドは、まっすぐで熱い。ひたむきな職人=プロフェッショナル志向である。あまりにも実直すぎて、人は目を背けたくなり、ときには笑い飛ばしたりしたりもするだろうが、この若者の情熱を直視し、受け入れ、称揚する以外に、この国の将来はない。今や、優れたスポーツ・トレーナーのいないところに、優れたアスリートは生まれないのである。そして彼のような職人が、より高度な理論を学ぶために、大学や大学院に入学するようになれば、大学も活性化するに違いない。僕は、それ以外に、日本の大学の生き残る道はないとも思っている。

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