自分の居場所
無事、二週目に入った。多少疲れているが、体調はとても良い。三週間に一度という変則的なクラスが昨日あり、これで今年度のすべての生徒たちに出会ったことになる。13クラス、およそ千人。たった十数人の高校二年生のクラスから、二百人弱の浪人生のクラスまで、さまざまなレベル、さまざまな来歴を持った生徒たちだ。高校を卒業した者もいれば、中途退学して大学受験検定を受けて来たものもいる。昨年まで外国にいた帰国生もいれば、両親とともに8歳で来日したという中国人の生徒もいる。お国なまりでとつとつと質問してくる者もいれば、高校時代古文の授業は全部寝ていましたと堂々と主張する猛者もいる。しかし、今のところみんな目が輝いている。数年前まで、とてもシニカルなポーズをとる生徒がいたものだが、今年の生徒はみんな「マジ」だ。何が彼らをこの切迫感にかりたてているいるのか、僕にはわからないが、僕たち予備校講師にとってこの適切な緊張感ほどうれしいことはない。
例えば、僕が二百人ほどのクラスを担当することになったとしても、学校から与えられる彼らの情報は極めて少ない。個人情報保護法のせいもあるが、せいぜいが学籍番号と、カタカナで打ち出された氏名、そしてクラス分けのテストの偏差値ぐらいしか書いていないのだ。しかも、偏差値の高い者からソートされている以上、そこにいる生徒は数値でしか把握できない。だから、僕はあえて彼らにこう言うことにしている。「今、君たちの名簿をもらいました。どんな名簿か知ってる?君たちの名前がカタカナで打ち出され、学籍番号が書いてあって、あとはクラス分けテストの偏差値だけ書いてあります。君たちがデータになって僕のてもとにあります。でも、僕はこの数値なんか信じていないし、これで君たちがわかるわけではない。でも、じゃあ教室で毎週会うといっても、二百人いたら全員を覚えることなんて無理です。ここは予備校で、カリキュラムもしっかりあり、よいテキストも準備されています。僕たちも一生懸命授業します。でも、ただ君たちが、この授業に来て、ただ受身に座っているだけだとしたら、君たちはこの中で埋没してしまうでしょう。だから、是非、君たち自身が声をあげてください。僕はここにいるぞと示してください。そうしないと何もはじまらないと思います。どうすればいいか教えます。君たちは、浪人生でここがこれから十ヶ月間の生きる場所です。他に行くところないでしょう?だから、ここに自分の居場所を作ってください。生きる場所を開いてください。だからどうすればいいのか…。僕は、予備校ってところはある意味で究極のサービス業だと思っているんです。最高のサービスが受けたければ、最高の客になる。それしかありません。こうしてほしいとはっきり言い、これはいやだとはっきり言う。黙っていないで、コミュニケーションを自分からとるんです。変ですか?お客からコミュニケーションとるなんて?でも、黙っていたら、まわりはあの人は満足してるんだな…と思ってしまいますよ。もっとはっきりいいましょう。名前を覚えるんです。友達の…じゃないですよ。君たちのクラス担当チューターを、『チューター』って余分じゃなくて「○○さん」って呼ぶんです。僕たち講師を、『英語の先生』『古文の先生』って呼ぶんじゃなくて、はやく『○○先生』って呼ぶんです。教室の掃除をしてくださってくれてる方に『おはようございます』といい、警備員さんと『今日はあったかですねえ』ってお天気の話をするんです。そしたら、どんなにたくさんの生徒がここにいても、ひとりひとりのひとが君の名前を覚えなきゃって思いますよ。そして挨拶を交わすようになる。『○○君、最近どう?』って笑顔で向こうから聞いてくるようになる。そうやって、自分から心を開いて、自分の居場所を作ってください。そしたらね、たぶん、この大勢のクラスでもやってゆけます。黙って『わかんない、わかんない』と思っていてもしかたがありません。質問に来てください。なんでも相談してください。君たちは僕たちを評価する権利を持っているわけですが、自分から何も働きかけないで、アンケートに『あの人の授業はわからない、不満!』と書くことぐらい無駄でつまらないことはないです。だって、君たちの実力はまったくついていないのに、お互いが数字でこころに傷を負ってしまうわけですから。それって一番損なことです。つらいことです。『僕は○○です。ここにいます。僕はこうしたいです』と言ってみましょう。そうすれば、何かがはじまります。笑顔の関係っていいですよ。自分の居場所は自分で作る…それが一番だと思いますよ。」
ほんとうは、お客さんに努力させてはいけないのだろうと思う。でも、僕なら、最高のサービスを受けたいときは最良のお客になろうとするだろう。僕が、R-body Projectに通い始めたとき、最初にしたことは、スタッフのほぼ全員の名前を覚えることだった。担当してくれたトレーナーの名前は手帳に書き残し、覚え、次には名前を呼んでみた。彼らは、クライアントを名前で呼ぶように指導されている。覚えるようにも言われているはずだ。でも、それはマニュアルどおりの対応に過ぎない。クライアントが笑顔で自分の名前を呼ぶ。そうしたら、彼らも本気で僕のことを覚えてくれる。笑顔の関係は、仕事の上であっても、やはり友情なのだ。そうやって、自分の場所を自分で開いたら、あとはそこへ通いつづければいいのである。いやな場所だから、続きそうもないから友情で支える。僕は、それを生徒たちに伝えたかった。
授業後、ひとりの男子生徒がやって来た。「先生、僕現役のときは小さな塾に通っていて、一クラス十人くらいだったんです。毎週あたってました。でも、浪人したらあの人数です。今日先生が埋没するよ…っておっしゃってましたけど、もう埋没していそうな気がしてます。どうしたらいいでしょうか?」。……これには困った。でも正直な生徒である。彼が少し涙目になっていた。「うん、大変だね、僕だって、あの人数、恐怖だよ。怖いよ。でもね、この十ヶ月なんとかあそこで頑張ってみようよ。いつでも話においで。それから、チューターさんにも正直に話してごらん。どうしても我慢ができなかったら、まあなんとか努力するよ。してもらうように頼んでみるよ。だから、来週まで頑張ってみて。で、また来週おいで」。僕は、そう言って彼の背中を見送った。
彼の姿は、かつての僕の姿だ。彼がどんな風に自分の居場所を作ってゆくか、僕はすこし心配しながら見守ってゆくしかない。頑張れ!青年。
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コメント
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mid-westさん、いろいろなクラスお持ち
なんですね。200人なんて、倒れそうです。
随分前に社員教育の仕事をしていたことが
ありますけど、毎回多くても20人ちょっとです。(新入社員のマナーなどを・・・。)
とても大切なこと一番最初に教えてらして
しかも具体的で、きっと社会にでてからも
彼らの支えになると思います。
逆に言えば、こういったことをこの時期に
きちんと受け止めて実践できる人は、
ぜったい社会にでてから、どんな環境に
いようと自分で自分を成長させることが
出来ると思います。とてもhappyな
人生を送れると思います。
そうなれば社員教育なんて必要ないです。
先生も生徒さんも10ヶ月頑張ってください。
私も生徒になりたいよ~戻れるなら。(笑)
投稿: mimiko | 2006年4月28日 (金) 21時30分
mimikoさん、いつもコメントありがとうございます。僕も、講師になりたてのころ、200人の教室はただただ恐怖でした。90分ずっと顔が真っ赤だった…というのが、初期の生徒の証言です。(笑)今でも正直怖いですね。コンサートに行く前のミュージシャンと同じで、「エイッ!」って気合いを入れてから行きます。
僕は200人の生徒全体が、僕の言うことを聞いてくれるなんて思っていません。どこかでシラーッとしている生徒もいるの違いないです。でも、こちらが何かを伝えたがっていることだけは伝えたいと思います。
頑張ろうと思います。
mimikoさんも語学頑張ってくださいね。
投稿: mid-west | 2006年4月30日 (日) 08時02分
高校時代と変わりなく、真摯に生徒さんと向かいあってる中西先生。ちょっと感動!いつまでも、先生らしくいてくださいね。
投稿: mariko | 2006年5月10日 (水) 23時13分
marikoさん メッセージありがとうございます。僕が大学院生のとき、教師として最初に教えたのが、あなたたちのクラスでした。以来、細々とではありますが、お互いを励まし合えてこれて、ほんとうに幸いだと思っています。つたないブログですが、これからも頑張って更新してゆきます。「抜き書き集」の代わりにもしようと思っています。よろしくお願いしますね。
投稿: mid-west | 2006年5月21日 (日) 21時50分