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2006年4月20日 (木)

父の教え

この二日間、睡眠四時間の生活が続いている。まあ、レギュラーシーズンに入ると毎年こんなものなのだけれど、この日常に身体が馴れるまではそうとうにつらい。授業の準備を直近にならないと始めない僕の性格上の問題もあろう。また、その日の授業の反省にたって、毎日授業内容を吟味し、翌日の授業を再構築するための手間もかかっている。だが、一番の原因は、新学期の緊張のために、睡眠後四時間後には必ず目が覚めてしまう僕の身体にある。ここ数年、僕は目覚ましを使ったことがない。それが、午前三時あれ、五時であれ、目覚ましのアラームが鳴る前に必ず目が覚めてしまうのだ。仕事には好都合…でも寝ている間も、精神は緊張しているのかもしれない。なんだか不健康な習慣である。新学期は、寝過ごしてしまうのではないかという恐怖で、より慎重になる。特に、準備で夜更かししたときは、不安で目覚ましをふたつかけて寝る。でも、目覚ましに起こされたことはない。ある年長の講師が息子にこう言われたそうだ。「お父さん、眠るのにも体力がいるんだよ。お父さんも年とって体力が落ちてきたから朝まで眠れないんだ。お年寄りが早起きなのはそのせいなんだよ」と。そうか眠るための体力がもう僕にはないんだ…。

今日は、千葉県の津田沼での仕事だった。この日ばかりは、クルマを利用して通勤している。朝五時過ぎに横浜の家を出て、ほぼ一時間後に津田沼の職場に到着する。高速湾岸線を経由する早朝のドライブなのである。なぜ、九時からの始業なのに、五時に家を出るのか。答えは簡単。満員電車の次に、クルマの渋滞が嫌いだから…。このルートは、六時を過ぎると混雑し始め、激しい渋滞がはじまる。5分出発が遅れると15分到着が遅れ、30分出発が遅れると、1時間以上到着が遅れる。到着の予想が全くつかなくなる。早朝なら、電車を使うとドアーツードアで2時間かかるところを、クルマならたった1時間でいける。それに、横須賀線は、6時台前半から激しい混雑がはじまっており、横浜駅ではもう立派な満員電車。精神衛生上もすこぶるよろしくない。1人乗車の自動車通勤はどうかんがえても環境に優しくないが、ここはどうか目をつぶってほしい。

高速湾岸線を東進すると、ちょうど日の出を正面に見ることになる。冬の低い陽射しは目をつらぬくが、今朝は低気圧が接近中とあって、雲が低くたれこめていた。有明ジャンクションを越えたあたりだったろうか、突然雲の下部にぽっかりと小さな穴が開いて、そこから一直線に若々しい陽光が地上に降り注いだ。光が柱の束のように見える。フェルメールの絵画のような光景が一瞬だけ東京に出現した。「ああ!」僕は運転しながら声をあげ、その光に祈った。神の臨在を確かに感じた瞬間だった。早起きは三文の得…。僕はウインドウを押し下げ、清涼な冷たい空気を全身に浴びたのだっった。

僕の父は、自動車工場に勤めるサラリーマンだった。無口で勤勉、まじめを絵に描いたような仕事人間だったと思う。子どもの目からは、どう考えていても父は仕事が好きでしかたがないのだと感じていた。僕が大学生になったころ、父に尋ねたことがある。「おやじは、仕事が好きなんだね」。父は首を横にふった。「仕事は好きじゃない。生活のためだ。しかたなくやっているんだ」。仕事の手順をいつも工夫し、家に仕事を持ち帰って改善提案をする父が、それほど頑なに自分の仕事を否定するとは思わなかった僕は驚いた。でもそれは本音だったのかもしれない。会社とはつらいものだ。そしてときとして残酷なものだ。父は、自分の仕事を否定することで、きっと何かに耐えていたのだろう。今なら、あのときの父の心が理解できる。でも、やはり、僕は父が仕事好きだったと信じている。

その父は、毎朝6時過ぎににクルマで会社に出勤していた。冬の遅い朝など、暗闇のなかに、父のクルマのアイドリングの白い吐息が、玄関に立ちこめていたことを思い出す。通勤時間は30分。つまり7時には工場に到着する。始業は毎朝8時45分だと聞いた。。「どうしてそんなに早く会社に行くの?」。これ僕が社会人になってから父に聞いたことである。父は、僕にこう言った。「会社に行ってな、忘れ物に気づいたとするじゃろ。その忘れ物を家に取りに帰って、まだ会社の始業時間に間に合うような時間に家は出るもんなんじゃ」。なるほど…。高度成長期を支えた工場労働者の高い倫理意識についての研究はどこかにあるのだろうか。日本の高度成長期は、まざに経済の戦争だった。早朝深夜に出勤してそれを支えたのは、僕の父のような無名の会社員たちだったのかもしれない。マックス・ウエーバーが『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』で分析した、ドイツの資本主義労働者の倫理観を、高度成長下のでは日本ではどう分析するのか…。僕の父はキリスト教徒ではない。では、彼を支えたものは何か。その倫理観の源泉をいつかきとんと探ってみたい。

その息子はというと…やはり早起きして職場に向かう。どうやら緑内障ばかりでなく、日常性まで遺伝したようだ。そう考えるとおかしい。子は親の背中を見て育つ…僕も子ども達にそんな背中を見せているのだろうか、こころもとない限りだ。

寝不足で首がパンパンに張っていたので、僕はこのあいだY君に教わった首のストレッチを約一時間。お茶を飲みながら、本を読み、雑誌に目をとおす。警備員さんや、お掃除の女性と「おはようございます」と挨拶をかわし、やがて、職員と同僚講師がやってくるのを迎える。僕の朝は実にのんびりしたものなのだ。

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