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唱歌・讃美歌

2015年10月 3日 (土)

コンサート&トーク「唱歌の社会史 なつかしさとあやうさと」

先月終了した京都新聞における私の連載「唱歌の社会史」の終了を記念して、有志の方々が実行委員会をつくり、11月9日18時より、ウイングス京都 2階イベントホールで、コンサート&トーク「唱歌の社会史 なつかしさとあやうさと」を開催することになりましたのでお知らせします。

トークの部分のパネリストは、私の他に、詩人の河津聖恵さん、そして法思想連鎖史(京都大学人文科学研究所教授)の山室信一さん、コーディネーターは社会 学(京都大学大学院文学研究科教授)の伊藤公雄さんです。私にとっては、ほんとうにありがたいお話なのですが、メンバーの顔ぶれとその業績を考えると気圧 され、逃げ出したい気持ちでいっぱいです。しかしながら、こんなチャレンジングで知的冒険心にあふれる機会はもう二度と来ないと考えて、お引き受けしまし た。まさに清水の舞台から飛び降りる(クリシェ)気分です。「唱歌の社会史」というタイトルにふさわしく、唱歌に限らず、近代の歌・音楽と社会の関係を歴 史的に総括してゆく会になると思います。

コンサートの部分ですが、私が連載でとりあげた12曲の唱歌に中から選んだ曲を、弟の 中西圭三と京都在住の野田淳子さん、ふたりのシンガーソングライターが歌ってくださいます。伴奏は、南こうせつバンドでもご活躍でギター・バイオリン・マ ンドリンなどを演奏してくださる佐久間順平さん、そしてキーボード・シンセサイザーの嶋村よし江さんです。きっとすばらしいコンサートになるでしょう。

実行委員会の方々、そして出演者のみなさまも、ほとんど手弁当で参加してくださっています。またこの美しいチラシも、上野かおるさんの愛情あふれるご協力のたまものです。ほんとうにありがたいことです。

このコンサート&トークは、河合文化教育研究所と京都新聞の後援をいただいております。ご尽力いただいた関係者のみなさまに感謝いたします。

みなさまのご期待に添えるよう私も張り切って準備いたします。

関西地区にお住まいのみなさま、どうぞ聴きにいらしてください。チケットは一般のプレイガイドでは扱わず、野田淳子事務所などで購入いだけます。お手数ですが、チラシ記載の要領でお申し込みくださいませ。

よろしくお願いいたします。

申し込み・問い合わせ先

野田淳子事務所 
605-0034 京都市東山区中之町197-205
TEL/FAX 075-751-7067
e-mail  junko21@mwa.biglobe.ne.jp
または
実行委員会携帯電話 090-2592-3150(北波)

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2015年10月 1日 (木)

唱歌歌詞解説 吉丸一昌作詞「故郷を離るる歌」 

唱歌解説

 

「故郷を離るる歌」

 

吉丸一昌 作詞 ドイツ民謡

『新作唱歌 第五集』1913(大正2)年7


園の小百合 なでしこ 垣根の千草    
今日は汝を眺むる 最終の日なり       
おもえば涙 膝を浸す さらば故郷      
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば  

 

【通釈】

庭の小百合よ、なでしこよ、垣根の千草よ

今日はおまえを眺める 最後の一日である

考えているうちに涙が 膝を浸してゆく 故郷よさようなら

さようなら故郷 さようなら故郷 故郷よさようなら

 

【語釈】

*「園」樹木・花・野菜などを植えた庭園のこと。後に「垣根の千草」とあることから、広い庭園などではなく、自宅の小庭のことであろう。

*「小百合」夏の花。「なでしこ」秋の花(秋の七草)。「千草」さまざまな種類の草。秋の季語である。この三種の景物から、この歌が晩夏から初秋の季節を歌った歌であることがわかる。

*作詞者の吉丸一昌は現在の大分県臼杵市の出身で、大分中学校(旧制)から熊本の第五高等学校(旧制)を経て東京帝国大学へ進学した。小学校と中学校(旧制)は、すでに1892(明治25)年から学年暦が四月開始になっていたが、高等学校(旧制)が四月開始になったのは、1917(大正7)年の第二次高等学校令の公布によってで、実施は1918(大正8)年春のことである。また、東京帝国大学の学年暦が四月開始になったのは、1921(大正10)年春のことであり、いずれにしても吉丸が故郷を離れたのは晩夏から初秋のころであったと推定される。つまり吉丸の実体験としても、この歌が発表された1913(大正2)年においても、高等教育機関は九月始業であったのである。このように、唱歌の歌詞には、固有の地名や地域特有の地形や風景が取り込まれることはないものの、すでに失われてしまった制度的残滓(例えば学校・学年暦)は刻印されていることに注意したい。

*「汝(なれ)」主に奈良時代の『万葉集』などで用いられた対称の代名詞。対等の相手や目下の者、さらに動物などに対して呼びかける語。ここでは「故郷」を擬人化し、友人のように「おまえ」と親しく呼びかける。吉丸は「早春賦」でも「谷の鶯」を擬人化しているが、これらは、旧来の和歌にはない吉丸独自の表現といってよい。

*「眺むる」マ行下二段活用動詞「眺む」の連体形。現代語では「眺める」となる。

*「なり」断定の助動詞「なり」の終止形。ここで「である」と言い切ることで、硬質なイメージを与えている。

*「おもえば涙 膝を浸す」この表現から、作者は小庭に正対して座っていることがわかる。極めて静かな故郷との別れの場面である。和歌では伝統的に「涙」は「袖・袂」を濡らすものと表現されてきた。ここで「膝を浸す」という表現は、そうした和歌的クリシェの埒外の表現であるといえる。

*「さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば」一連の終わりに、この「7・7・7」のフレーズを二回繰り返す。「さらば故郷 3+4」を二度繰り返した後、語を逆にして「故郷さらば 4+3」と折り返すことで、リズムに変化と緊張感とを与え、この歌をより魅力的にしている。

 


土筆摘みし 岡辺よ 社の森よ
小鮒釣りし 小川よ 柳の土手よ
別るる我を哀れと見よ さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば


【通釈】

土筆を摘んだ 丘のほとりよ 神社の森よ

小鮒を釣った 小川よ 柳並木の土手よ

故郷を別れる私を哀れと思ってくれ さようなら故郷よ

さようなら故郷 さようなら故郷 故郷よさようなら

 

【語釈】

*「土筆摘みし」「小鮒釣りし」「し」は過去(回想)の助動詞「き」の連体形。この助動詞の存在によって、二番は、歌い手が自らの幼少期に直接経験したことをなつかしく回想していることを示している。別れの年の春のことを指すのではなく、あくまでも幼少期の記憶と考えておきたい。

*「土筆」スギナの胞子茎。食用ともする。春を代表する景物。

*「小鮒釣りし」この歌と同時期に作成されていた高野辰之の「故郷(ふるさと)」と共通のフレーズ。高野の「故郷」は、『新作唱歌 第五集』の出版された翌年1914(大正3)年に『尋常小学唱歌 第六学年用』の一曲として発表された。吉丸は、『尋常小学唱歌』の作詞の責任者として高野と協働しており、二人の作詞者の間に「故郷」の共通のイメージがあったとしても、なんら不思議はない。吉丸の「故郷を離るる歌」と高野の「故郷」が同時期に発表されたことが、近代日本における「故郷」観の創出の表象であったことに思いをいたしたい。

*「柳」柳の木。春を代表する景物。

*「別るる」…ラ行下二段活用動詞「別る」の連体形。現代語では「別れる」となる。

*「別るる我を哀れと見よ」故郷を出て行く自分自身を「哀れ」と蔑んでくれと「故郷」に懇願することで、故郷への深い愛惜とを示している。吉丸の経歴からいえば、故郷を離れることは進学のため、ひいては立身出世のためであったが、この歌では立身出世主義に一言も触れていないのが特徴でる。またその点で、高野の「故郷」と好対照をなしている。

 


ここに立ちてさらばと別れを告げん
山の影の故郷 静かに眠れ
夕日は落ちて黄昏たり さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば

 

【通釈】

ここに立ってさようならと別れを告げよう

山の陰にある故郷よ 静かに眠っておくれ

夕日は落ちて黄昏れの時を迎えている さようなら故郷よ

さようなら故郷 さようなら故郷 故郷よさようなら

 

【語釈】

*「ここに立ちて」一番の自宅の庭、二番の幼少期の回想を経て、三番で歌い手は故郷を広く俯瞰できる場所に移動したのである。一番では座っていたが、三番では立っており、いよいよ別れの時が来たことを告知する。

*「別れを告げん」「ん」は意志の助動詞「む(ん)」の終止形。「別れを告げよう」の意。

*「山の影の故郷」唱歌はあくまでも特定の地域や地形を描写するものではないが、この表現は具体的な地形を彷彿とさせる。ちなみに、吉丸の故郷の臼杵は、山と海に囲まれた風光明媚な小都市である。

*「静かに眠れ」故郷の安寧であることを祈りつつ、眠る故郷とは対照的に、眠ることなく都会へと旅立つ自らの心情を吐露している。故郷を友人として語りかけるがゆえの哀切な表現ともいえる。

*「夕日は落ちて黄昏たり」「たり」は存続・完了の助動詞「たり」の終止形。「黄昏れている」と、夕暮れの美しい時間の継続を表現している。一番の「なり」同様、「たり」と文を終止することで、硬質で古風な印象をこの歌に与えていよう。歌い手は夜汽車にでも乗って故郷を離れるのであろうか。


この歌の音数律

6   4   7

6   4   7

7   6   7

7   7   7(3+4 3+4 4+3)

動画による解説はこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=m1XKL0chsOM 

 

 

 

 

2014年5月17日 (土)

連続テレビ小説「花子とアン」で「蛍の光」が歌われました。

本日(2014年5月17日)のNHK連続テレビ小説「花子とアン」の冒頭で、唱歌「蛍の光」が歌われました。

女学校の卒業 式の練習という設定でした。

安藤はな(のちの村岡花子)が通う女学校のモデルは東洋英和女学院ですが、"Auld Lang Syne" のメロディーには「めさめよわがたま」という讃美歌(讃美歌370番)があり、当時のミッションスクールの卒業式で、同じメロディの「蛍の光」がどのよう に歌われたのか、大変気になるところです。是非調べてみようと思いました。

卒業式でのブラックバーン校長の卒業生へのスピーチはすばらしいもので、実に感動的でした。すべての人に(特に若い女性に)勇気と励ましを与えるとてもよ い番組です。私は毎日録画して見ています。是非御覧下さい。大好きな番組で「蛍の光」が歌われて、研究者としては幸せでいっぱいです。

http://www.nhk.or.jp/hanako/

2013年3月 8日 (金)

毎日新聞(大阪本社版)で拙著が紹介されました。

3月8日付けの毎日新聞(大阪本社管内 北陸・近畿・四国・中国)で、拙著「『蛍の光』と稲垣千頴」が紹介されました。

同新聞京都支局の論説委員榊原雅晴さんのコラムで、「元祖・桜ソング」としてとりあげてくださったものです。

達意の文章で、「蛍の光」の来歴と現在、そして将来について語ってくださっています。

お読みいただければ幸いです。


20130307

2012年12月22日 (土)

文語のクリスマス・キャロル「あめにはさかえ」(『讃美歌』98)口語訳・注釈

今年のクリスマスイブ礼拝で、聖書の朗読を担当することになりました。
生まれてはじめての経験なので緊張しています。
どうぞお近くの方はお出かけください。

   
クリスマスイブ礼拝

 20121224日(月)19:3020:45
 日本キリスト教団代田教会
 
さて、この礼拝では、何曲かの文語の讃美歌(クリスマスキャロル)が歌われます。
ちょうどよい機会ですので、歌詞の深い理解のために、文語の歌詞に現代語訳と注をつけてみようと思います。
まずは、私の大好きな「あめには、さかえ」から。
メンデルスゾーン作曲のすばらしい楽曲です。この歌は、195412月に発行された日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌』(日本基督教団讃美歌委員会)に掲載されています。現行の『讃美歌21』(199910月)では、「聞け、天使の歌」とタイトルを変えて新しい歌詞がつけられていますが、この歌詞も純粋な口語ではありません。やはりメンデルスゾーンの曲には「あめには さかえ」という歌い出し初行のタイトルがふさわしい気がします。

あるいは今後も、クリスマスには文語で歌い継がれるかもしれません。
歌い継ぐなら、意味を学んでからにしたほうがよいというのが、私の立場です。
私自身、大好きな歌ながら、なかなか歌詞が覚えられませんでした。
意味と構造を理解していなかったためだと思われます。
讃美歌に親しんでいない人が「あめには さかえ」と聞くと、例えば宮沢賢治の「あめにも まけず」などを想起し、「雨には 栄え」と誤解してしまうのではないかとも思います。
世代を超えて歌うことのできる文語の歌は、学校でも教会でも残して欲しいと念願するものです。

少しはやいですが、みなさま、すばらしいクリスマスを!

讃美歌98 あめにはさかえ


あめにはさかえ み神にあれや、
つちにはやすき 人にあれやと、
みつかいたちの たたうる歌を、
ききてもろびと 共によろこび、
今ぞうまれし 君をたたえよ。

【口語訳】
天には栄光が 神にあるように、
地には平和が 人にあるようにと、
み使いたちの 讃える歌を
聞いて多くの人が ともに喜びあい、
今まさに生まれた 君を讃えなさい。

【注釈】
*冒頭の「あめにはさかえ み神にあれや、つちにはやすき 人にあれや」は、イエス・キリストの誕生を讃える言葉「いと高き所には栄光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ。」(文語訳聖書 ルカ伝2:13-14)の和語的表現。この部分は、文誤訳聖書も歌詞も現代語の通常の語順ではない。「いと高き所には、神に栄光あれ」=「あめには、み神にさかえあれや」、「地には、主の悦び給ふ人に平和あれ」=「つちには、人にやすきあれや」となるべきところ。この語順が、わかりにくさを助長している可能性がある。
*「あめにはつちには」は、和語「天地(あめつち)」(『古事記』冒頭「天地初発時」)を分解し、区別の係助詞「は」で対称とした表現。「あめ」は「いと高き所=天」を、「つち」は「地」を表す。
*「さかえ」は名詞。「栄光」の和語的表現。動詞「さかゆ」の連用形と誤認する可能性がある。
*「み神」。「神」には尊敬の接頭語「み」が付く。
*「や」は詠嘆の終助詞。
*「やすき」は形容詞「やすし(安し)」の連体形の準体用法。名詞として扱う。「安し」は「安心だ・平穏だ」の意味だが、ここでは「平和」の和語的表現として用いられているる。この「やすき」を「平和」と理解するためには、聖書の該当箇所を想起する必要があろう。
*「もろびと」は「多くの人・衆人」の意味。
*「今ぞ生まれし 君をたたえよ。」は、1番から3番まで共通した最終行となる。
*「ぞ」は強調の係助詞。文末の一語を連体形で結ぶ。「今ぞうまれし」の「し」は、回想の助動詞「き」の連体形で、係り結びが完結しているように見えるが、「今ぞ生まれし」は「君」を修飾しているので、結びの消去(消滅・流れ)と判断する。先行する讃美歌の歌詞は「今生(あ)れましし」であったが、「生(あ)る」という動詞が用いられなくなったために、現行の歌詞に変更された。先ほど述べたように、「ぞ」では係り結びの完結の可能性を否定できないので、本来なら文末に影響を与えない強意の副助詞「し」などを補うべきであったかもしれない。「今し生まれし」と「し」音の繰り返しをきらって、現行のようになったということも考えられよう。



さだめたまいし 救いの時に、
かみのみくらを はなれて降(くだ)り、
いやしき賎の 処女にやどり、
世びとのなかに 住むべき為に、
いまぞ生れし 君をたたえよ。


【口語訳】
定めなさった 救済の時に、
神の御蔵を 離れて地上に降り、
身分の低い(聖霊によって) 処女に宿り
世の人々の中に 住もうとするために、
今まさに生まれた 君を讃えなさい。


【注釈】
*「さだめたまいし」の主語は「父なる神」。「たまふ」は尊敬の補助動詞。
*「かみのみくら」。「御座(みくら)」は、天皇の御座所のことだが、転じてキリスト教の「神の座」のこと。神のいらっしゃる場所。
*「いやしき賤の処女」。「処女マリア」のこと。処女懐胎を示す。「いやし」「賤し」はほぼ同義で、身分が低いということ。「賤の」は形容詞語幹の用法である。「いやしき賤の」は四半世紀ほど前から「御霊(みたま)によりて」と読み替えて歌われるようになった。ことさら身分の低さを強調する差別的表現を忌避するためだと思われる。
*「住むべき為に」。「べし」は当然・推量・意志などの意味を表す助動詞。偈現代語の語感では「するべきだ」ととられがちだが、ここは「意志」とするのが適当。神の意志として、イエスは天から地に派遣された。


あさ日のごとく かがやき昇り、
みひかりをもて 暗きを照らし、
つちよりいでし 人を活かしめ、
つきぬいのちを 与うるために、
いまぞ生れし 君をたたえよ。


【口語訳】
まるで朝日のように 輝きながら昇り、
み光を用いて 暗い場所を照らし、
地から作られた 人をよく生きさせ、
尽きることのない永遠の命を 与えるために、
今まさに生まれた 君を讃えなさい。


【注釈】
*一行二行および三行四行は、それぞれ一連の表現。すべて最終行の「君」を修飾する。
*「みひかり」。「み」は尊敬の接頭語。神の御光。
*「暗き」。形容詞「暗し」連体形の準体用法。「暗い場所」のこと。
*「つちよりいでし人」。主なる神は土から人を創造された。(「創世記」)
*「活かしめ」。「しむ」は使役の助動詞。「す・さす」に比べてやや硬質の表現。
*「つきぬいのち」。「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。「尽きることのない永遠の命」のこと。
*「与ふるために」。「与ふる」はハ行下二段活用動詞「与ふ」の連体形。「与えるために」。

日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌』日本基督教団讃美歌委員会、195412

2012年6月30日 (土)

週刊金曜日に拙著「蛍の光と稲垣千頴」(ぎょうせい)の書評が掲載されました

6月29日発売の「週刊金曜日」に、私の著書「蛍の光と稲垣千頴」(ぎょうせい)の書評が掲載されています。1ページを用いた本格的なもので、公刊されたものに掲載される書評としては最初ものになります。

「週刊金曜日」は直接購読が主体の雑誌ですが、大きな本屋さんには置いてあります。よろしければご覧になってください。

週刊金曜日がホームページで公開している第901号の目次のpdfです。

「120629-003trim.pdf」をダウンロード

生前一度だけお目にかかったことのある久野収先生が創刊に関わった、この硬派な雑誌に取り上げていただいて、私としてはたいへんうれしく光栄におもっています。

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週刊金曜日の書評は、書評委員で文芸評論家・明治大学准教授の伊藤氏貴さんによるもの。

「心から芽吹くのでない歌を無理矢理にでも歌わせようとする圧力があちこちの学校で高まるなか、本書の持つ射程は、学校の問題から沖縄の問題まで、現在のわれわれにとって限りなく広い。」

著者の意図を的確に読み取り、より大きな枠組みの中で定位してくださっています。
ただただ感謝です。

また、『週刊金曜日』のホームページ「おしらせブログ」の「書評・本箱の本」に、この本が登録されています。


http://www.kinyobi.co.jp/news/


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発売後一週間を経ましたので、書評の画像を掲載させていただきました。
どうぞお読みください。




2012年6月 7日 (木)

京都新聞「凡語」で『「蛍の光」と稲垣千頴』(ぎょうせい)が紹介されました

6月7日付けの京都新聞一面「凡語」で、私の著書「『蛍の光」と稲垣千頴』(ぎょうせい)が紹介されています。

守山市のホタルと沖縄戦の終結した六月を「蛍の光」 の歌詞に関連づけて美しいエッセイにまとめてくださいました。

この本にこめた私の意図を読みとってくださった上に、さらに深い歴史的思考を示しておられま す。

ほんとうに感動しました。

みなさまも是非お読みください。

20120607kyotosinnbunn

京都新聞のHPからも御覧になれます。

6月7日の記事を御覧ください。

http://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/index.html

2012年5月30日 (水)

「「蛍の光」と稲垣千頴」(ぎょうせい)Amazonでの注文が再開しました。

拙著「「蛍の光」と稲垣千頴」(ぎょうせい)が、東京新聞のコラム「大波小波」で

ご紹介頂いてから、しばらく品切れになっており、ご迷惑をおかけしています。

私の小さな書物にご注目いただけただけで、ありがたく思っております。

なかなか一般書店には置いていないので、オンライン書店を頂ければ

幸いなのですが、そのひとつAmazonでは購入できない事態が続いておりました。

最近、第2刷ができあがってきましたので、これからは配本が再開されるはずです。

Amazonでも、即日発送というわけにはいかないようですが、注文いただけるようです。

http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E8%9B%8D%E3%81%AE%E5%85%89%E3%80%8D%E3%81%A8%E7%A8%B2%E5%9E%A3%E5%8D%83%E9%A0%B4%E2%80%95%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%9A%84%E5%94%B1%E6%AD%8C%E3%81%A8%E4%BD%9C%E8%A9%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%A5%87%E3%81%AA%E9%81%8B%E5%91%BD%E2%80%95-%E4%B8%AD%E8%A5%BF-%E5%85%89%E9%9B%84/dp/toc/4324094225

また、お急ぎの場合は、版元ぎょうせいの「ぎょうせいONLINE」をご利用ください。

こちらは、即日発送のはずです。

http://shop.gyosei.jp/index.php?main_page=product_info&products_id=7445

どうぞよろしくお願いいたします。

ひとりでも多くの方に読んでいただけますように!

安田寛先生の連載「音痴と日本人」第8回の中で、私の本とWikipediaについてご紹介いただきました。

安田寛先生のweb連載「音痴と日本人」の第8回「唱歌を作った「バシリ」の構図」で、

私の本とWikipediaの「稲垣千頴」の項についてご紹介いただきました。

私の唱歌研究へ誘って下さった安田先生のご文章に引用していただき、

たいへん光栄に思っております。

安田先生、ほんとうにありがとうございました。

みなさま、是非、安田先生の連載をお読みください。

http://ht.ly/bcXEx

2012年5月23日 (水)

5月22日の東京新聞夕刊文化欄のコラム「大波小波」で、拙著「「蛍の光」と稲垣千頴」(ぎょうせい)が紹介されました。

私の意図を正確に読み取り、的確にご紹介くださっています。

著者として、これほどうれしいことはありません。

ほんとうにありがとうございました。

20120522tokyoshinbun

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